昔から歩くことが好きだった。行きたいお店が1km先だと知っても、「20分もあれば余裕じゃん」なんて考えるのが当たり前。田舎生まれ田舎育ち、どこへ行くにも車が必須な地元で過ごした18年間は、私に自然の豊かさと歩くことの楽しさを教えてくれた。

高校卒業後、地元を離れることになったが、引っ越し先は地方都市。この先も車を使わずに徒歩やバスが中心の生活になるのだろうとワクワクしていた。そんな期待を胸に抱えやってきたこの土地で、まさか車が欲しいと思う日が来るなんて、10代の私は全く想像もしていなかった。

行きたいところに行くために、もう誰かに頼りなくない

地元から今の土地に移り住んで7年が経った。自分も自分を取り巻く環境も大きく変わり、それに合わせるかのように行動も変わっていった。
周りは就職と同時に車を購入し、そのタイミングで車を持たなかった友人は、結婚や出産を機に購入していた。

車が無い中での生活は、地方都市のど真ん中に住む私には大きな障害ではなかったが、それでも遠出する時にはいつも友人や先輩の運転に頼っていた。

ある日、行きたいお店が自宅からが5km以上離れた場所にあることを知り、どうにか行く方法は無いかと考えた。自転車で行ける距離だが、行きたい日の天気予報は雨。それも駅から離れており、バスの路線も通っていない。そこに行きたいという友人は周りにおらず、頼れる人もいない。

歩けない距離ではないが、雨の中往復10km以上歩くのはリスクがあるのでは?どうしたものか、と大きくため息。誰かに頼らなければ、行きたい所にも行けないなんて、とその時自分の不自由さを恨んだ。

「車があればな〜」
不意に口から漏れ出た本音。歩くことが好きだとしても、日常における不便さ、憂鬱を拭うことはできないと悟った瞬間だった。

車が与えてくれる「一人の時間」に憧れて

そしてもう一つ、車が欲しくなった大きな理由がある。
「社会」に疲れ切った時、一人でどこか遠くへ行きたい時があるのだ。それも真夜中に。
女の子一人の夜散歩なんて危険極まりない。そんな時、やはり「夜中のドライブ」が理想になってくるのだ。

何も考えず、好きな曲を聴きながら、よく知りもしない道をただひたすら走る。それだけ。それだけのことが私にとって憧れで救いの光だった。大袈裟かもしれないが、それくらい「一人の時間」というのは私にとって必要なものなのだ。

車購入のためには乗り越える壁がいくつかあるが、幸いにも車の免許は持っている。欲しい車はもう決まっている。思いっきりカスタムしてカッコよくするつもり。

「一緒にいる男の趣味だろ」なんて言われるのは目に見えてるけど、そんなことは気にしない。私は私の力で、運転で、行きたい時に行きたい所へ行く。私の相方と一緒に。

その夢が早く叶いますようにと、今日も私は歩いて行く。大きく腕を振って前を向いて、「社会」へと挑んでいくのだ。今度地元に帰るときは、自然を楽しみながらゆっくり車で走りたい。そんな日を夢見て。