数年前にドラマ「大恋愛」がヒットした。
普段あまり民放を見ない私も、そのドラマだけはリアルタイムで見ていて「これぞまさしく大恋愛」と頷かざるを得ない、山あり谷あり恋愛の奥深さに夢中になる内容だった。
思えば、私ももう10年以上前、まだ高校生だった頃に「これって大恋愛かな」と思える恋をした。
中身からして言えば、ドラマの足元にも及ばない、平々凡々な高校生という年齢に見合った恋愛だったが、それが初恋かつ初めての彼氏だったからということで、人生において色濃く残る恋となった。
誰でもいいから話したい。と思っていたときに声をかけてくれた彼
人を好きになるキッカケほど、些細なことはないと思う。高校進学を機に、地元から離れ、たまたま縁遠い地で過ごすことになった。当時の私は、まさしく「ザ・センチメンタル」で、精神的にも少し不安定になっていたのだと思う。周りはついこの間出会ったばかりの人達で、気心が知れた仲間は誰一人としていない。もちろん、私がこの先、学校生活を上手く送れるか不安に思っていることなど、気づく者はいなかった。
「もう誰でもいい、どんな話題でもいいから話し相手になって」とぼんやり考えていた現代文の授業中。「この漢字って何て読むの?」と、そっと小声で話しかけてきたのが、隣の席の『彼』だった。あまりのグッドタイミングに、つい意識せざるを得なかった。
『彼』は、私に無い部分をたくさん持っていた。
どちらかというと、内気でくよくよ悩みがち。人間関係も受け身で、誰かに話しかけるにもエネルギーを要するタイプの私に対して、『彼』は人付き合いでの壁が無く底抜けに明るかった。
「授業中に私に話しかけたのも、きっと誰でも良かったんだろうな」という私の思いに「何か思い詰めた顔してたから、何でもいいから声かけようと思って」と教えてくれたのは、程なくして付き合ってからだった。
彼のことが大好きすぎて、思考のほぼすべてを「彼」が占めていた
人生で初めての彼氏。
それまで異性関係に疎かった私は、『彼』の存在だけで十分舞い上がった。一緒に部活帰り駅前をたむろしたり、放課後の図書館でまったく集中出来ていない中、勉強ごっこをしたり、窓から差し込む光を受けて彼の部屋のベッドでごそごそとまどろんだり、二人の時間を共有することがとても楽しく幸せだということに気づかせてもらった。
本当に本当に『彼』のことが大好きだった。気づけば『彼』が私の思考のほぼすべてを占めていた。
だが、それがいけなかったのかもしれない。
明るく周囲から好かれ、友達も多い『彼』の行動を私は無意識のうちに制限していた。悪気はなかったものの、知らぬ間にストレスになっていた私。恋愛は、どちらかの好きの比重が極端に傾くと上手くいかなくなるということに気づいたのは、もう後戻りできないほどケンカが増え始めた頃だった。
「もう俺じゃ無理だわ、別れよ」
そう言われたときには、私が何度、今までの態度を改めると伝えても『彼』の決意は揺るがなかった。結局、私たちはほどなくして別れた。
10年以上前にした失恋でも、心の片隅には高校時代の私が生きている
それから……正直いって10年以上経った今でも、あの恋から立ち直れたかと問われると、立ち直れていないと思う。
その後、たまたまSNSで繋がるきっかけがあり、もう何とも思っていない素振りをしながら時々アカウントを見させてもらっているし、私も自分の『彼』抜きの日常を投稿している。
「いつか結婚してずっと一緒にいたいね」とどちらからともなく話していたのも、今ではお互い別の人と結婚して完全に戯言となった。
『彼』との別れ以降も何度かお付き合いすることはあったものの、恋愛における判断基準が『彼』になってしまい、上手くいかないこともあった。
誰もが人生において、きっと一度は経験しているであろう、苦い経験。失恋。
それもプラスに捉え、人生の糧にしていければ理想的だとは思うが、私は未だにそれが出来ない。
人生の伴侶を得た今。表立って『彼』の話をすることは無くなったが、今でも心の片隅には高校時代の私が生きており、『彼』との甘酸っぱい思い出を懐古しながら、今とは違う未来を想像している。