1番に頭に浮かぶのは、21歳で初めて付き合った彼との苦い苦いバレンタインだ。
彼とは海外でのイベントを通じて知り合い、惹かれあって付き合った。
元々好きなものや人に対しての思い入れが強くなりやすい私は、運命的に出会った彼を溺愛し、できる限り尽くした。
また、私はありのままの自分が好きで、自分の好きなボーイッシュで快活な自分のまま、相手に愛され、尽くされることを求めた。

バレンタインの数日後、彼の家には私の手作りケーキが残っていた

付き合って数ヶ月のタイミングで迎えたバレンタイン。柄にもなく、手作りの「いちごクッキー」「チーズケーキ」を2回練習した上で本番に臨んだ。当日は、上手くできたものを綺麗にラッピングし、さも何の気なしにプレゼントした。
彼の喜ぶ顔を見て、お互いに一層気持ちが深まったバレンタインになったと満足していた。

数日後、彼の家を訪れてみると、食べかけのチーズケーキとクッキーが半分以上残った状態で机の上に置いてあった。
その光景をすぐに処理できなくて、普段饒舌な私が上手く言葉を発することができなかった。

「おいしくなかったのかな」
「頑張って作ったんだけどな」
「それくらい気遣ってくれないのはなんでだろう」
色々な思いが駆け巡った中で私は、「彼は無頓着な人なんだ」こう考えた。

2度目のバレンタイン後も、無頓着な彼からのお返しはなかった

それから、彼が無神経に発する言葉、例えば、「元カノは華奢で女の子らしい子だった」「色白で女の子らしい子が好き」などを耳にしても、彼は無頓着だから、と傷つかないように工夫していた。
今考えても、全く悪意なく言っていた言葉なので、彼は本当に極端に無頓着な人だったんだと思う。

色黒で背が高く、ボーイッシュで恋愛下手な自分を、当時はコンプレックスに思っていた。だけどこれが自分だから、このままの自分を愛してくれないのか、という思いは消えなかった。
不満は不安になり、着実に積もった。遠距離だったこともあり、気持ちを確かめるような面倒くさい連絡をしてしまうこともあった。
遂に彼も我慢を迎え、翌年にお別れすることとなった。

最後に会ったのは彼との2度目のバレンタイン後。お店で買った高級チョコを渡した。「いらないよ」と言われたが意地で渡した。
「お返し渡すね」と言ってくれたが、結局彼からホワイトデーのお返しをもらうことは前年含め一度もなかった。
これは、彼が彼が私のことを大事にしていなかった、というよりは、彼が本当に無頓着な人だったからなのだと思う。

そのままの私を好き、と言ってくれる次の彼とのバレンタインを迎えた

2度目の苦いバレンタインの翌年、次に付き合った彼との日々を重ね、バレンタインを迎えた。

2個作って2個とも失敗したので、今回はあげるのを断念しよう。こう考えたが、彼が「食べたい」と言うので、ラッピングもせず失敗作のガトーショコラを食べてもらった。
「これ、普通のやつより美味しいよ!」と顔を輝かせ、おかわりまでしてくれた。
全力で変顔しても喜んでくれる、女らしくしなくてもそんなところが好き、背が高くて健康的な女性が好き、と本気で言ってくれる彼に出会って2度目のバレンタインが近づいている。

前回、ホワイトデーのお返しでお揃いの手作りリングをプレゼントしてくれた愛情深い彼に、今回は失敗しないで上手に愛を込めたプレゼントをしたい。