私は、すべすべの肌が欲しい。誰もが触りたくなるマシュマロのような肌が欲しい。きれいでつやつやした肌は、昔からずっと欲しかったものだ。そして今でも一番欲しいものである。
なぜ私だけアトピー性皮膚炎に?自分の身体を恨むこともあった
生まれつき皮膚が弱く、アトピー性皮膚炎と診断されて塗り薬が手放せない人である私が初めて自分の肌を嫌ったのは小学生の頃だった。
どうしても口周りにできてしまった炎症が治りきらず、悪化と治癒を繰り返していた。そんな顔を見て可哀想にと言ってくれる友達ばかりだった。
見た目でいじめの対象にされる環境もこの世の中にはある中で、私は救われていたかもしれない。しかし、可哀想と思われることは、それすなわち普通ではない人であり病気であることを知らしめる要素に不足なかった。
子供ながらに純粋に悲しかった。友達の言葉には傷つけるつもりが一切ない分、無意識な言葉の棘を私に向けていたからである。なぜ私だけアトピー性皮膚炎に悩まされなければいけないのか。自分の身体を恨んだ。
中高生時代はストレスのせいか、更に症状がひどくなった。湿疹が飛び火して腰に包帯をぐるぐると巻いたこともある。
けれども、大学に入って一人暮らしを始めた頃に周りの環境が変わったおかげか症状が軽くなり、痒くて眠れない日は無くなった。さらには顔の症状が消えて肌を褒めてもらえることもあった。
自分を労わるキッカケになっても「これさえなければ」と感じてしまう
そうは言うものの、やはり完全にゼロになったわけではなく、半袖の服を着たり丈の短いスカートを履いて肌を見せなければならないときは今でも嫌になる。そして、好きな人の前で服を脱ぐときも変に躊躇ってしまったり、こんな肌質なんかで申し訳ないと思ってしまうのだ。
恥ずかしいことに、電気を消してくれないと自分の肌を見られていないか気が気でないためにまともに過ごせないのだ(相手は他のことで頭が一杯で肌なんか見ていないのかもしれないけれど)。
もし、この体質が治るのならば、少しは自信を持って人前に立てると思う。
現代では「敏感肌」はそれほどレアなものではないのはわかっている。そこまで自分を下に見る必要はないのだろう。
また、これは個人的なことではあるが、こんな肌だからこそストレスを溜めない工夫をしたり、食べ物には気を使ったりと自分を労るきっかけをくれたこともあった。
けれどもどうしてもこの肌質に対してコンプレックスを抱かざるを得ない私の価値観としては、これさえなければもっと周囲に愛されるのかもしれない、楽しい人生になるかもしれないと感じてしまう。
「見た目は全てではない」と言われる時代でも私にとっては生きにくい
皮膚は服で隠す事ができるけれども裸体の一番表面に存在していることには変わりないし、色など目についてしまうところであって、いくら頑張って治療をしてもどうしようもない部分だからだろう。
「見た目は全てではない」「容姿は個性だ」と今でこそ言われるようにはなったけれども、まだまだ容姿を武器にして生きていく人も多い時代ではあることは事実であり、容姿を気にしてしまうのもしょうがないと思う。皮膚疾患を持っている私としては、生きにくい世の中だなと感じてしまう。