一年前の夏、隣県からの帰り道。
臨時のアルバイトで、初めての駅から自宅の最寄まで帰るところだった。
不慣れな電車にそわそわしながらホームで待っていると、バイト仲間の一人と遭遇。聞いてみると、自宅の最寄り駅までのルートがたまたま同じだった。
今、一万円手に入るなら。私は「アンティーク浴衣がほしい」と答えた
では駅までご一緒しましょう、と言いながらも、お互い今日初めて会った仕事仲間。
仕事の話だけでは間が持たず、話題もすぐに尽き……。
気を遣ってくれた彼は、あるお題を持ちかけてきた。
「今、一万円手に入ったら何が欲しいですか?」
咄嗟に返す言葉が思いつかず、一万円ですか…?と繰り返すと、
「あ、貯金とか生活費とか、そういうのは無しですよ!」
「例えば、amazonのギフトカートで一万円貰ったとか、デパートの商品券一万円分とか」
「そういう状況だったら、何を一番買いたいですか?」
詳細な条件を次々提示されて、つい笑ってしまった。
「だったら、浴衣がほしいです」
「浴衣ですか……?」と彼は目を丸くした。予想外の答えだったらしい。ひとまず当面の話題が確保された安心感もあって、お互いにリラックスして会話を続けた。
「浴衣って、デパートとかで売ってるんですか?」
「あー、そういうのもいいんですけど、私が欲しいのは着物屋さんで売っているやつで。アンティークの浴衣で、レトロで可愛い柄のものが色々あるんです」
「へえ、全然知らなかったです……僕、そもそも浴衣ってレンタルするものだと思ってました」
話しながら、確かにな、と思った。
浴衣なんて年に一回イベント事で着るか着ないか……くらいのものだし、それをわざわざ専門店で買うという発想はふつう湧かないだろう。
しかも、最近では帯や下駄までセットになった商品がネットでもリーズナブルに購入できる。デザインだって結構可愛い。
浴衣が欲しい理由はシンプル。「他の人と違うものを着たいから」
何故わざわざ、一万円近くするアンティークの浴衣がほしいのか?
理由はシンプル。
「他の人と違うものを着たいから」
そもそも着物を始めた理由は、「洋服が似合わない」と感じたことだった。
何を着てもしっくりこない、ときめきを感じない……。
なにより「他の人と似たような服装をしている」ということが地味にストレスだった。
休日に着物を着るようになってから、「おしゃれを楽しむ」とはこういう感覚か!と思い知った。
普段着とは明らかに違う、特別なおでかけ着。レンタルでなく古着やアンティークの着物を購入して着れば、まず他人と被ることもない。
「他人と違う装いでいたい」という思いは、イコール「特別な自分を愛したい」という思いでもある。
大量生産の洋服も可愛いし好きだけど、どうしても鏡に映った自分と広告モデルとを比べてしまう。
自分では素敵な着こなしをしたつもりでも、職場の同僚と似た服装で出勤してしまうと、どうしても恥ずかしさがこみあげてくる。
それならばいっそ、誰とも被らない装いで自信をつけたい。
自分の浴衣へのこだわりはそこにあるのだと、雑談の中で気付いた瞬間だった。
着物の影響で自分に似合う洋服を選べるようになり、自信がついた
あれから一年。
着々と夏が近づいてきているが、新しい浴衣はまだ買っていない。
一年のうちに心境が変わり、大手ブランドのリーズナブルな洋服も好んで買うようになった。
当然、道行く人や職場の同僚と服が被ることもある。それでも気にならないのは、着物の影響でファッション全体に興味が移り、自分に似合う洋服を選べるようになったからだと思う。
「着物似合うね」「センスがいいね」と周りから褒められる機会が増えたことで、自分に自信がついたことも大きい。
とはいえ、「他人と違う装い」への憧れは未だに捨てきれていないらしい。
今、あの時の彼に一番欲しいものを聞かれたら、こう答える。
「明るいブルーに染めた髪色に合う、ターコイズブルーのスニーカー」