亡くなった叔父さんに今会えたら、「ごめんなさい」を伝えたい。
兄のように慕っていた叔父は3年前の冬に亡くなった。心筋梗塞による突然死だった。けれど、根本的な原因は肝硬変。
訃報は父から受けた。寒い夜空の下で私は振動する携帯を耳に当てた。様子伺いの電話だろうと考え、私は気軽に電話に出た。
「けいちゃんが亡くなった」
電話に出た途端、父は静かに、でもしっかりした声でそう言った。あの時の父の声は今でも覚えている。
父の話が頭に入ってこず生返事。叔父の死を受け入れられない
けいちゃんというのは、叔父の愛称だ。名前に「けい」が入っているから、けいちゃん。家族に限らず、たくさんの人から叔父はそう呼ばれていた。
父は、地元から離れた所に住んでいた私に葬式の日取りなどを伝えていたが、父の言葉は何一つ頭に入ってこなくて、私は生返事ばかりしていた。
電話を終えた直後、時の流れが遅く感じた。ぽつぽつと降る雪も、車の動きも、視界に映る何もかもが遅く見えた。
私は叔父の死を受け入れられなかった。親不孝者の私に灸をすえるための悪い冗談だと、悪夢だと思いたかった。
よろよろとした足取りで私は帰宅し、その晩、ベッドに横になってもなかなか寝付けなかった。父の言葉が頭の中でこだましていたいし、叔父の姉である母と祖母の身を案じていたからだ。母に電話しようかと考えたが、どういうわけか、怖くてできなかった。
訃報を受けた翌日、寝不足の私は地元行きの高速バスに乗車した。窓にもたれかかり、流れる景色を呆然と眺めていた。
喧嘩した叔父に今度会ったら謝って、仲直りしようと思っていたのに
叔父と私は喧嘩をしていた。喧嘩の原因となった出来事は今でも思い出せない。ただしょうもないことだったと思う。お互い意固地になって謝れず、私は叔父を避け、長い間疎遠になっていた。今度会ったら、ちゃんと謝ろう、仲直りしようと思っていたけれど、決意するだけで、ずるずると長引かせて、実行に移せていなかった。
バスが見慣れた景色に差し掛かった際、ある光景がぱっと目の前に広がった。
ある年のお盆。ヒグラシが鳴き、夕焼けに染まる空を背景に、祖父の墓に向かって叔父と幼い弟が一つの七輪を一緒に持ち、歩いている光景だ。私は二人の背中を追いかけるように後ろを歩いていた。叔父は振り返り、私の名前を呼んだ。
あぁ、けいちゃんは死んだんだ。もうどこにもいなんだ。仲直り、できないんだ。
その時、私はそう悟った。叔父の死体はまだ見ていなかったが、ふいに脳裏に浮かんだ光景が叔父の死を私に受け入れさせたのだ。
そこで初めて私は涙を流した。止めようとしても、私の意に反し、熱を帯びた大粒の涙はとめどなく頬を伝った。
喪服に身を包み、私は家族とともに母の実家へ向かった。
叔父の死体はまるで眠っているみたいだった。
叔父と私、二人きりになったとき、私は彼の手に触れた。温かった叔父の手のひらは冷たくて固くなっていた。「けいちゃん、ごめんなさい」と私は謝った。魂が抜けた抜け殻からの返事は当然のことながら返ってこなかった。
叔父がいない日が日常になり、叔父と仲直り出来なかった後悔を抱える
ありきたりだけれど、人はいつ死ぬかわからない。今日かもしれないし、明日かもしれない。明後日かも。死は突然やってくる。だからこそ、いざこざが生じたら早い段階で解決させなくてはならない。その相手が大切ならなおのこと。
火葬場の炉の中へ消えていく、叔父が入った棺を見送りながら、私は自分の辞書にそう記した。
3年が経過し、世界中を探しても叔父はいない日々が私たち家族の日常になった。その日常に一抹の悲しみを覚える。これから先、私は叔父との仲を取り戻せなかった後悔を抱えながら生きていくのだろう。
もし、もう一度叔父さんに会えるのなら、ちゃんと面と向かって「ごめんなさい」と伝えたい。叔父さんのことだから「なんだ、まだそんなことを気にしていたのか」と言って、わしゃわしゃと頭を撫でるかもしれない。そして昔のように戻れたら、また弟と3人でパフェやクリームソーダを食べに行きたい。