その場しのぎで答えた「将来の夢」。全くの噓ではないけれど

私には、夢がない。
正確に言うと、これまで生きてきた24年間で夢を持ったことがない。
おそらくほとんどの人が聞かれたことがあるであろう「将来の夢はなに?」という質問は、とりあえずその場しのぎで答えていた。

小学生の時は、年に一回家族と行くディズニーランドが大好きで、「ディズニーランドのキャストさんになりたい」と言っていた。
中学生のときは、5科目の中で一番得意だった科目が英語だったから、「翻訳家になりたい」と言っていた。
高校生のときは、笑いを取って楽しい雰囲気を作りたくて、少しふざけた感じで「お金持ちと結婚して専業主婦になりたいなあ」なんて言っていた。

もちろん全部心からそう思っていたわけではない。
しかし、全くの嘘というわけでもない。
もしディズニーランドのキャストになったら、自分は本当に楽しく働くことができるのだろうか。
もし翻訳家になったら、それなりに稼いで食べていけるのだろうか。
もし専業主婦になったら、自分は家事をすることにやりがいを感じるのだろうか。
そんなことを考えると、どうしてもやりたいという気持ちにはならなかった。
こうして大学進学のときにも、やっぱりなんとなく英語が一番得意だからという理由で都内の大学の英文学科に進学した。

「夢」はないまま就活。自分と向き合うことを避け模範解答

大学までは特に夢なんてなくても何とかなってきたが、大学を卒業するともう社会人になる。
これまで「夢」だと言っていたそのステージが、すぐ目の前に来ているのだ。
卒業後のことを考えると、やはり何か今のうちに夢を見つけておかないとと思い、いくつかのアルバイトやボランティアに挑戦してみた。
しかしそれでも、「将来はこういうことがやってみたい」と思えるものに出逢うことはできなかった。

こうして迎えた大学3年生の冬、就活の時期がやってきた。
私はどちらかというと真面目な性格だったので、周りが動き始めそうな時期には自分も動き始め、就活セミナーや説明会にも積極的に足を運んだ。

そこで大人たちが口を揃えて言う言葉に、私は焦りを感じていた。
それは、「まずは自己分析をすることが大事だ」ということだった。
自分はどんな時にやりがいを感じるのか、どんな時に嬉しくなるのか、どんな時に辛いと感じるのか、自分自身を知ることが大事だと言っていた。

もちろん、それは自分でもわかっていた。
自分がやりがいに感じることを仕事にした方が絶対に楽しく働くことができるだろうし、どうせ働くなら楽しく働きたい。
けれど、私は私自身と向き合うことが怖かった。
また心からやりたいと思えることが見つからなかったらどうしよう、そんな恐怖があったのだ。

そうして自分自身の気持ちと向き合うことを避けながら、不動産会社や人材派遣会社、食品メーカーなど、業界問わず50社以上の説明会や面接に行った。
自分のことをあまりよく知らずに面接を受けるため、質問にはいわゆる“模範解答”を答えていた。

入社して2年。白い霧に覆われている道を一人歩いているようだ

こうして私はなんとなく興味があった社会人教育に関わる会社で、営業として働くことになった(一番の決め手は初任給が高かったからだった)。
それからは目の前の仕事に忙殺されながらも、真面目な性格が根底にあったからか私なりに一生懸命に働いた。

毎日もがきながらも必死に働いて、気が付いたら2年の時が経っていた。
同じタイミングで入社した同期も、結婚を機に退職したり、やりたいことを実現するために転職したり、少しずつそれぞれの道に進んでいっている。

入社して2年が経った今、あることに気が付いた。
とりあえず進んでみたところにある道をとぼとぼと歩いているのは、私だけということだ。
もしかすると同じように感じている人もいるかもしれないが、目の前が白い霧に覆われていて同じ道に誰かいるのかを見ることができない。
一人で歩いているように感じるのだ。

この先、私はどんな道を歩いていきたいのだろう。
霧のかかった道ではなく、目的地が見えるような道を歩いてみたい。
何かに向かって一生懸命に走ってみたい。
私がいま一番ほしいものは、夢だ。