私は、小さい頃から誰とでも仲良くなれた。
公園で見知らぬ子がいても「一緒に遊ぼう!」と言うだけで良かったし、みんなで遊べば友達だった。
世界中の人と仲良くなれるものだと、そう思っていた。
中学2年のあのときまでは。

「いじめ」という言葉に馴染みがなかった、あの頃

その日、私はいつも通り授業を受けて、いつも通り家に帰ろうとした。
いつもと違ったのは、友達に呼び止められたことだった。
「最近あった先生との面談で、モモナの話をした」
なんのこと?と思った。

最近あった面談といえば、「いじめ」に関することだった。
「○○が、モモナのこと陰でいじめてるって、先生に言った」
いじめ、という言葉に馴染みがなかった。
別に、殴られたり、蹴られたり、ハブられたりしていないから、身に覚えがなかった。
呆気に取られている私と、伝えたことにより泣いている友達。
そういえば、と色々な違和感を思い出してみた。

周りの席にいる男子たちが「梅ちゃんはあれがすっぱいから」という言葉を発していて「梅ちゃんって誰??」と聞いても誤魔化されたこと。
別のクラスの○○が、やけに自分のクラスに来ていたこと。
おそらく、クラス全員から陰でいじめられていたこと。
でも、その他に何があったのか、わからなかった。

どうやら、いじめられているらしい。自分のことが悔しくなった

帰り道、途中までは友達と一緒だったが、1人になったら色々なことが頭を駆け巡った。
私は何もしていないのに、いじめられているらしい。
私は何も思ってなかったのに、いじめられているらしい。

家に着き、母と顔を合わせたら「どうしたの」と言われた。
その瞬間、自分がいじめられていること、それに気づいてなかったこと、どうして友達は私に伝えたのだろうという気持ちが溢れてしまった。
母は、ずっと私を抱きしめてくれた。

「梅ちゃん」は中1で交際していた人が言いふらしたのだろうか。
やけに○○が来ていたのは、私がいじめられている姿を見るためだったのか。
私が鈍感すぎるから、いじめにも気づかなかったのか。
私は、私のことが悔しかった。
何にも気づかないということは、何も考えてないと一緒だった。

「いじめ」の事実は消えない。だからこそ、今では良かったと思える

その後、担任が話し合いの場を設けてくれて、○○と直接話をして、いじめはなくなった。
そして3年に進級しても担任は変わらず、私の中学時代は無事に終わった。
でも、心は傷ついたままだった。
人間不信に陥って、少しだけ壁を作るようになった。
心の奥底で「きっとこの人も私のことを嫌いになるだろう」と何度も考えて、自分の心を守るようになった。

いじめは、そのときだけの話ではない。
その後の一生、その事実はなくならず、自分の心の中に住み続ける。
そして、笑い話にできたとしても、いつまでも核は残っているのだ。

それでも、私はあのとき友達が話してくれて良かったと思っている。
誰とでも仲良くはできないこと。
一定数、自分を嫌う人がいること。
私は自分というモノを何も持っていなかったこと。
全部、あって良かったと思っている。
あったから、今の私がいるのだ。

ありがとう、中2の私。
よく頑張ったね。
でも、その先は心配しなくて大丈夫。
今の私を好いてくれる人がいるから、それで良かったんだと思えているよ。