父は特別支援学校へ異動した。その世界は少し身近になったけれど

父には弟か妹がいたはずだった―。
私が23歳になった時、一緒に公園を散歩をしていた祖母が「私ね、昔お腹の子に障がいがあるって分かって、おろしたの」と突然教えてくれた。
両親からも、誰からも聞いたことがなかった事実に、思わず無言になる。
「今まで何も言わなかったけれど、息子も何か思うところがあったのね」
突然話そうと思ったのは、父が特別支援学校への異動希望を出したことを知ったからだと言う。

「やめときなよ、絶対向いてないよ」と職場の同僚も上司も、誰一人として賛成も理解も示してくれなかった、と父は笑う。
けれど周囲の反対とは裏腹に、息子、娘世代の若い教師やスタッフさん達とあっという間に距離を縮め、父は新しい職場を楽しんでいるようだった。
本能のままに行動する元気いっぱいで無邪気な生徒達。
その一方で、子供に付きっきりで息抜きができないと嘆く父親、我が子に処方された睡眠導入剤を試しに飲んでみた、という母親の話、生徒達が卒業後に働く職場を見学に行った話…。

ただの風邪すら滅多にひくこともなく健康そのもので育ってきた私。
想像できない、しようともしてこなかった世界がすぐそばにあった。
しかしそれも束の間、父のおかげでほんの少し身近になったとはいえ、5年、10年と経つうちに目先の自分の生活にばかり気を取られ、いつしか障害児のこと、支援学校のこともすっかり頭の隅に追いやってしまった。

深く考えずに、そのまま"希望する"にチェックを入れそうになった

あれから15年が経ち、私は妊娠、そして2度目の妊婦健診。いつもどおりに健診に行くと、妊娠初期に行う検査の同意書を渡された。
そこには貧血や血糖値、麻疹風疹の抗体量や性病といった一般的な妊婦健診項目と一緒に並んで、胎児スクリーニング検査というものが書いてあった。
胎児スクリーニング?聞きなれない検査に、少し動揺する。

胎児スクリーニングとは、胎児に形の異常(形態異常)がないかどうか、外見上や構造の異常を確認するための精密な超音波検査で、出生前検査のひとつだ。ダウン症などの染色体異常の病気の可能性を知ることもできる。
簡単に言えば、普段のエコー健診よりさらに時間をかけて精密にエコーをするものだ。
特に太字で強調してあるわけでも、別枠で囲ってあるわけでもなく、検査を希望するか、しないかの小さな枠にチェックをいれるだけの同意書。
深く考えずに、そのまま"希望する"にチェックを入れてしまいそうになる。

その時ふと、特別支援学校のことを思い出した。
異常が分かったら?異常の可能性が出て、更なる検査を勧められたら?
その結果、重い疾患が見つかり、中絶を選ぶ人は少なくない。
検査を受けずに、産まれた後、重い障がいがあることが分かったら?子供自身が苦しむことになるのでは?
検査を受けなかったことを私達夫婦は後悔するだろうか。もし検査で障害の可能性が事前に分かったら、中絶するのだろうか。

どんなに考えても現実味が湧かず、答えが出せない。
つわりで体調が悪くなってきたことを言い訳に、深く考えることをやめ、胎児スクリーニングを受けるかどうかはそのまま放置してしまった。
妊婦なら誰もが受けているエコー健診だって出生前診断の一種だ、より詳しく調べるかどうかの違いだけだ、と自分に言い聞かせて。
そしてそのまま、検査を受けられる時期は過ぎていった。

家族に話を向けてみても、無責任で曖昧な会話で終わってしまう

そして今、もう産む以外選択肢の無い時期になっているのに、いまだ子供の障がいの可能性、育てていく覚悟に向き合えていない。
おそるおそる、夫や母達家族に話を向けてみるけれど、「何言ってるの、何も無いに決まってるでしょう?」「う~ん…分からないな…」「その時はその時だよね…何とかなるんじゃないかな…?」などとお互い無責任で曖昧な会話で終わってしまう。
「出生前診断受けないの?勇気あるね、子供への愛だね」などと褒められると、なんだか後ろめたい気持ちになってしまう。

違う。誕生後に障がいが発覚しても、全て受け止め育てる覚悟があるわけじゃない。何も決められず、ただ現実を、結論を先延ばしにしただけなのだ。
大金はたいて不妊治療してやっと授かったんだから、上手く健康に育っていてほしい、途中で諦めたらもったいない気がする…。
でもそれって命をお金に換算することになるのでは?子供は商品じゃない、どんな子供でも受け止めるのが親の役目なのでは?そんな考えが浮かぶなんて、私はエゴの塊なんじゃないか…。

今まで隠してきた、自分のどす黒い部分を見つけてしまい、自分に失望する。
もう、いっそのこと何も知らなかったら、出生前診断なんて検査が存在しなかったら、迷いもせず悩みもしなかったのに。

障害って何だろう。きっと一生向き合い続けるテーマなのだ

でも、そもそも完璧に健康な人間なんているのだろうか。
私は視力が悪くて眼鏡やコンタクトレンズを使っている。軽度ではあるけれど、私も障害を持つ人間ではないか。
眼鏡やコンタクトレンズが無ければ、私は日常生活を送ることができないのだから。

障害とは何なのだろう。29歳にもなったら、もっと的確に責任感を持って物事を判断できるようになると思っていた。
10代の頃に私が思い描いていた理想の大人、理想の親とは、今の私はかけ離れている。

産んでみたかった?産んだらどうなってたと思う?
70代の祖母は「わからない」と即答した。