20代も後半に差し掛かると、友達が結婚したことをSNSで知るようになってきた。バラの花束100本の写真とともに、一言「付き合って2年目の記念日に結婚しました」と添えられていた。
私はつい最近、2年遠距離をしていた彼氏とお別れをして、SNSのカップルアカウントを削除したところだった。

アプリを始めて見た現実は、遊びの軽い関係だった

田舎の高校生だった私のバイブルは、少女漫画だった。いつかイケメンの彼氏が現れて、その人は私のことを理解してくれて、紆余曲折を経てゴールイン。そう、結末はいつもハッピーエンドだった。

大学生になって都会に出てくると、少女漫画は所詮漫画なのだと悟った。女子大だった私は男性と出会うこと自体が難しく、「来てくれないならこっちから!」と出会いを求めてアプリを始めた。
そこで見たのは、遊びの軽い関係だった。もちろん、アプリで出会う人すべてがそうというわけではない。でも、会って夜を共にしたとたん連絡が来なくなる人がいるのも事実だ。それでも、彼氏と別れるとアプリに戻ってきてしまうのは、孤独に耐えられない自分の弱さなのか、傷ついた自分への承認欲求からなのか。

「独立した強い女性になれますように」と願った

そんな自分が嫌になって、大学の時、私は鈴虫寺に参拝した。鈴虫寺は京都にある、願い事をひとつだけ叶えてくれることで有名なお寺だ。
雨の日だったが、人が並んでいた。まず、ご住職の説法を聞き、お茶とお茶菓子をいただく。部屋の中では鈴虫の音が鳴り響き、外ではしとしとと小雨が降っていた。不思議と落ち着いた空間だった。帰り際に、お目当てのお守りを買い、私は両手でぎゅっと握りしめて「独立した強い女性になれますように」と願った。

あれから5年以上経った今、私は都内で一人暮らしをしながら、主任という立場で仕事に取り組んでいる。
外から見れば、独立した強い女性に見えるのかもしれない。が、正体は彼氏と別れたその日のうちにマッチングアプリをダウンロードしているアラサーだ。そして身長185センチの細マッチョな男性と出会って、付き合おうと言われ、夜を共にし、連絡が途絶えた。何の成長もなく、舞い戻ってきてしまった。
あきれるのは、浅い関係になるかもしれないことを知っていながら、何かまだ希望はないものかと「彼氏 付き合ったばかり 未読無視」と未練たらしく、検索しては落ち込む自分がいることだ。

私があの時お願いしなきゃいけなかったのは、「独立した強い女性」じゃなく、「マッチングアプリに戻ってこなくていいような相手に出会うこと」だったのだろうか。

ずっと求めていたものは、冷たい私の手を暖かく包んでくれる人

幼いころの記憶が鮮明に蘇ってくる。私は手がいつも冷たくて、ある日、「雪女の手だー!」と友達に逃げられたことがある。その時に感じた、「この冷たい手を暖かく包んでくれる人がいたらいいのに。それだけで十分なのに……」という、なんとも切ない気持ち。部活の試合前、発表会の出番前、就職活動の面接前、いつも私の手はつめたくなって、その度に同じことを考えた。

私が今一番欲しいものは、ずっと求めていたものは、私の手が冷たくなるたびに傍で暖かく包んでくれる人なんじゃないだろうか。その人が変わらず横にいてくれることなんじゃないだろうか。

今はまだ別れのある恋愛しか経験したことがないけれど、いつかきっと漫画みたいな、終わらない恋愛をしたい。今度京都を訪れた時には、また、鈴虫寺にお願いをしに行こうかな。