ピンクが大好きな男の子に出会い、雷に打たれたような気持になった

私は、ピンクが嫌いだった。「女の子の色」としてのピンクを押し付けられるのが嫌で、わざと水色や青色といった色を好んだ。この幼い感情を、多くの女性は理解してくれるのではないだろうか。
しかし私は保育園のときに、ピンクが大好きな男の子に出会った。両親の引っ越しの影響で都会から田舎である私たちの保育園に移ってきた彼は、ハンカチやリュックサックなど身の回りのものすべてをピンクで揃えていた。それはもう、清々しいほどに。

ピンクを「女の子の色」だと思って拒絶していた私は、雷に打たれたような気持ちになった。初めてピンクをかっこいいと思った。
しかし、「ピンク=女の子の色」として大人たちから刷り込まれた年端のいかない子どもたちは、彼を集団の中の異物とみなした。なにせ、保育士の先生まで「もっとかっこいい色を身に付けようね」と彼を諭したほどだ。
当時はまだそういう時代だった。

ピンクが好きな理由は「好きだから」。その一言を鮮明に覚えている

「おい、おとこおんな!」
そんなからかいを、彼は反論することも無く、ただ黙って聞いていた。当時は気の弱い子だなと思ったものだが、今思えば「ピンクが好きな男の子」として彼が学んだ処世術であったのかもしれない。
どんな顔だったかすらよく覚えていないのだから、彼がどんな気持ちだったかなんて私に知る由はない。寂しさだったのか、怒りだったのか、悲しみだったのか、絶望だったのか、あるいはそのすべてか。
私は最後まで、彼と話すことはほとんどなかった。私が人見知りだったのもあるが、何より彼はまた両親の引っ越しですぐに遠くへ行ってしまったのだ。
そんな彼に、一度だけ勇気を振り絞って話しかけたことがある。

「なんで、そんなにピンクが好きなの?」
一人で絵を描いていた彼の隣に歩み寄って、そう話しかけた。
彼はきょとんとした顔で私を見つめた。もしかしたら私の名前すら知らなかったかもしれない。
「好きだから」
何でもないように彼が放ったその一言を、私は鮮明に覚えている。

いまだにピンクの服や小物を身に付けるとき、彼を思い出す

時がたち、私は大学生になった。未だにピンクの服や小物を身に付けるとき、私は彼を思い出す。
ピンクを身に付ける男性は随分と増えた。ジェンダーレス、ボーダーレスが叫ばれる社会では、性別による色の区別などご法度だ。小学生が身に付けるランドセルだって、私たちの時代はほとんど赤と黒だったのが、見違えるほどにカラフルになった。色とりどりの小さな背中が私の隣を走り抜けていくたびに、懐かしいような、眩しいような気持ちで彼らを見つめる。

私はピンクが好きだ。愛用している時計もピンクだし、ピンクの服だってたくさん持っている。最近ではマスクもピンク色のものを使っている。
それは別に「女の子の色」としての認識が世間で薄れたからでも、私がその認識を受け入れられるようになったからでもない。
可愛いから。かっこいいから。テンションが上がるから。私に似合うから。私はピンクを身に付ける。

彼はまだ、ピンクが好きだろうか。もうとっくに趣味が変わって、全然違う色が好きになっているかもしれない。全身真っ黒い服を着て、東京の街を闊歩しているかもしれない。
それなら私は、その街を全身ピンク色の服を着て歩きたい。だって私も、ピンクが好きだから。