私のひいおばあちゃん「ひいちゃん」には知りたくない真実があった

母方の祖父、私にとってのひいおばあちゃんの真実は、私にとって知りたくなかったことだ。

ひいおばあちゃんのことを、私はひいちゃんと呼んでいた。ひいちゃんは祖父の家に同居していて、たまに私が遊びにいくと、ひいちゃんは紫色のふわふわしたヘアスタイルで、いつも居間のマッサージチェアに座っていた。
私はひいちゃんとよく居間のテレビで、テレビショッピングやありきたりなサスペンスを見たりしていて、私が「テレビショッピングなんて、いいのないよね?」なんて言った時、「そうでもないに。けっこうよさそうなのもあるに」とか答えていたのを思い出す。お昼ご飯のチャーハンを「ひいちゃんいる?」とか言って、ひいちゃんに一口食べさせてあげたこともある。

すごく小さい頃、母が何かの用事でひいちゃんに私の面倒を見てもらった時、一日中ひいちゃんの隠居部屋で過ごしたことも覚えている。確かそのとき、「かおるちゃんはいいこだ、ねんねしな」と子守唄を歌ってくれた。他にもそのくらいの頃、兄とケンカした時、私をかばってくれた。

ひいちゃんの怖い面を見たことは一度だけあった。
祖父の家のトイレはぼっとんトイレだったため、キッチンペーパーのような切れた紙を使っていたのだが、私は潔癖だったため、使いすぎた。その時ひいちゃんは鬼のように怒った。それは怖かったが、それくらいだった。そんな、おばあさんだと思っていた。つまり、たまに怒ると怖いがみんなのひいおばあちゃんと同じだと思っていた。
それも真実なのかもしれないが、ひいちゃんにはもう一つの真実があった。

私と「ひいちゃん」に血の繋がりはない。知らなかった過去の出来事 

ある時、父が「ひいちゃんが死ななければ吉田のおばあちゃん(つまり母方のおばあちゃん)は大変だな」と言った。
私はその時、怒った。人が死んだ方がいいなんて、思うものじゃないと思っていた。
いつだろう。ひいちゃんのあれらの話を聞いたのは。

母が言った、「ひいちゃんね、おじいちゃんと血が繋がっていないんだよ。ひいちゃんはひいおじいちゃんの後妻さんなんだ」と。それを聞いた、やたら特殊な状況に酔いがちな兄は、何かというと後妻のことを「ごさい」と言わず、「のちぞえ」と言いまくっていたのをよく覚えている。

それはそうと、その真実を聞いて私はショックだった。ひいちゃんはずっと私と血が繋がっていると思っていた。
ひいちゃんの真実は、それだけではなかった。ひいちゃんはおじいちゃんが子供の頃、おじいちゃんのパンツを洗ってくれなかったそうだ。そしておばあちゃんに対して、とても意地悪だったそうだ。

それらを聞いてから私のひいちゃんに対する感情は変化した。それに加えて、勉強で忙しかった私は母の実家に行かなくなり、ひいちゃんとは真実を聞いて以来、一度か二度、ひいちゃんが施設に入っている時に会ったきりだった。

もし「ひいちゃん」に会えるなら、私は聞きたいことがある

その時には、もうひいちゃんはぼんやりと生きているようで、気まずいということもなかった。そして私が大学に入ってしばらくして、ひいちゃんは亡くなった。
私は単位が心配だったのと、ひいちゃんのことを忘れてしまったため、ひいちゃんに面倒を見てもらったことがあった恩を踏みにじり、葬式には行かなかった。兄は葬式に出席した。兄は私と一緒に実家に帰省した時、「わがままいっぱいの母でしたが」と葬式で祖父が言っていたのを気に入ったらしく、何度もその言葉を口にしていた。

ひいちゃんが亡くなって、足の悪い祖母は楽になったと思う。父は身も蓋もないことを言っていたが、それも間違ってはいなかったのだなと次第に思うようになった。
意地悪なひいちゃんの話を聞いて、ひいちゃんは優しいおばあさんではなかったと最初は思った。これを書いている今、それも確かだとは思うが、そうは言っても血が繋がっていない私に、実のひ孫のように優しくしてくれたのも真実だと思う。
そしてこれを書いているちょうど今、ひいちゃんに聞きたいことがある。
「ひいちゃん、ひいちゃんは私のことをどう思っていましたか?」