会えなくても、年賀状のやり取りを欠かさなかった幼馴染のちいちゃん

ちいちゃんのことを思い出す。
受験シーズンや卒業論文はどうして年末年始にやってくるのだろう。
トウキョウに越してきてからも、欠かさずちいちゃんとしていた年賀状のやり取り。

ちいちゃんは、私が物心ついた時からの友人だ。幼稚園からの幼馴染。
お家は居酒屋をやっていて、私達家族はよくご飯を食べに行っていた。
ちいちゃんのお家はお店の2階にあったので、そのままお泊まりすることも多かった。
ちいちゃんのお家には女の子用のドレスやおもちゃがいっぱいあって、お泊まりするとき、私達二人はおとぎ話の中にいた。

高校一年生の頃、ちいちゃんに久々に再会した時にも年賀状のやり取りは続けていた。
小さい頃からごっこ遊びが好きだったちいちゃんとは、公園でディズニープリンセスごっこやセーラームーンごっこをしていた。
二人ともオーロラ姫が好きだった。じゃんけんでよく役を取り合っていたっけ。

大学に受かったちいちゃんと落ちた私。年賀状を返す勇気がなかった

私がトウキョウに越してからも、ちいちゃんとは連絡を取り合っていた。
小学生の子供が携帯をもつのは今より当たり前ではなかったから、知っているのはお互いの住所と電話番号だけ。
でも電話は予定が合わないと繋がらないし、かけることはほとんどなかった。そのうち、連絡は毎年の年賀状だけになってしまった。

ちいちゃんとの年賀状は、2度途切れている。
1度目は中学1年生で、私がトウキョウから引越ししてしまったとき。
2度目はちいちゃんと私が、大学1年生になったとき。

1度目は私の年賀状のあとに、新しい住所にハガキを送ってくれた。
中学生になって、演劇部に入った、と書いてあった。
私とちいちゃんはお泊まりの夜だけでなく、小学校の中休みも学校の帰り道も、どこでもおとぎ話を二人で始める間柄だった。2人でいればどんなお話の世界にもいけたし作り出せた。
南国のお姫様、歌う人魚、魔法使いの見習い……それからカエル!
どんな役にでもなれてしまうちいちゃんなら、きっと演劇も楽しいだろうと思った。
私は、トウキョウに来てから映像ドラマを作るクラブに入ったけれど、全く楽しくなかったから。私が好きだったのは、ちいちゃんが作り出す世界でちいちゃんと過ごすことだったのだ。他の人と作り出しても、なんだか置いてけぼりにされたような感じだった。

2度目の年賀状を止めたのは私が原因である。大学の受験はセンター試験が1月に、私立の大学入試が2月にあった。年賀状を書く時期にあたる12月の後半は試験対策も大詰めで、年賀状のことに頭を回す余裕がなかった。
ちいちゃんはそれでも年賀状をくれた。その年賀状を私が見るのは2月16日。自分の最後の受験が終わってからだった。

ちいちゃんは年賀状で、春から○○大学に行くよ!と書いていた。
○○大学は、私が年賀状を読んだまさにその日に受験した大学であった。
もしかしたらちいちゃんと同じ学校に通えるかも!!!
その知らせが嬉しかったから、日付までしっかり記憶している。
返事を書こうとも思った。でも落ちていたらどうしよう……。
自信のなかった私は年賀状を返せなかった。その後、ちいちゃんが行く○○大学の不合格通知が届いた。

昔みたいな関係に戻れなくても。ちいちゃんが作る世界を、私は見たい

それから4年間。○○大学の近くを通ってはちいちゃんのことを思い出し、演劇部をみてはちいちゃんを思い出していた。
一度だけ、ちいちゃんが所属しているかもしれない演劇部の劇を見に行こうとした。
勇気がでなかった。
ちいちゃんに連絡を返せなかった申し訳なさだけでなく、ちいちゃんが小学校1年生の頃の私との記憶を留めていてくれる自信がなかった。
ちいちゃんが他の人とお話を作り上げているかもしれないと思うと、それを見て受け止めきれる自信がなかった。

ちいちゃんを見に行ける最後のチャンスだった卒業公演は、コロナ禍で中止。
ちいちゃんを探す手がかりはほぼない。
ちいちゃんの家の住所は分かるけれど、4年間連絡をしていなかった私がどう連絡を取ればいいのか、分からない。

ちいちゃんの作り出す世界の中に、私もいたいとはもう言わない。
そんな贅沢な願いは持たない。でもどうか、ちいちゃんがどこかで、今もどこかで楽しくちいちゃんの好きな世界を創り出して演じているならそれでいい。

もしちいちゃんに会えたなら、私は隣にいなくてもいい。
ちいちゃんが創り出している世界のほんの片隅でもいいから、どうか私にも見せてくれたらと思う。