ある日の晩、この春社会人2年目になる妹に、エッセイの募集テーマであった「いま一番欲しいものは?」という質問をしてみた。
私はデザイナーズマンションに住みたいとか、ハイブランドのバッグが欲しいとか、少々下品な欲望しかなく、同世代の女の子が純粋に一番欲しいものが気になったからだ。

すると、疲れも相まってお酒の酔いが回った妹が「愛が欲しい」と答えた。
職場と自宅の往復ばかり、休みの日には推しに愛を与えるばかりで男に飢えてしまったのかと、妹のことがいささか心配になりながら「なんで愛が欲しいと?」と問うた。
しかし妹は「愛に飢えとるけん」と、更に心配になる回答を続ける。
厚かましいことは重々承知で「姉のそれがし、カウンセラーにならねば」と、普段自分のことを話さない妹がベロベロに酔っ払っていることをいいことにインタビューを続けた。

自己肯定感が低い妹は、周りと自分を比べてしまいモヤモヤしていた

「なんか『愛に飢えとるな』って思ったエピソードがあると?」
「仕事を始めるようになってから会食があるっちゃけどね。私の周りは本当に可愛い子ばっかなんよ。やけん、私のことを男性社員は『この子だけブスなのになんでいると?』って思ってそうで」
私は妹の回答に意表を突かれた。

というのも、妹は幼い頃にキッズモデルとして誌面を飾り、その後も崩れることなく成長し、現在は控えめに言っても「中の上」レベルのルックスなのだ。
そんな彼女がなぜそこまで自分のルックスを卑下するのか、ぬりかべ顔の私には検討もつかなかった。
「『類は友を呼ぶ』ってことわざがあるっちゃけん、アンタも充分可愛いよ。なんでそんな自信ないと?」
私がそう言った途端、妹は涙で目を潤ませ始めた。そして私の問いに対してこう答えた。
「友達からも言われるんやけど、自己肯定感が低いんよね」
彼女のモヤモヤを解決する糸口になればと、私はかつて自己肯定感を上げるために自信をつけようと奮闘した過去を話した。

モヤモヤを解決する糸口になれば。妹に話した自分のコンプレックス

幼い頃から歯並びが悪かった私。
中高生時代、噛み合わせが悪く唇をピッタリ合わせて口を閉じることが一切できなかった。
そんな醜い自分の顔が嫌いで、口元を隠して顔の醜さを軽減するために不織布マスクを欠かさず着用して登校していた。
そのおかげで両頬はマスク荒れを起こしてニキビだらけになり、更に醜くなった自分の顔を受け入れることができなかった。

社会人になってからどうにか自分のコンプレックスを打ち破りたいと思い、そのためには歯並びを治さねばと思った。
納得がいくまで多くの審美歯科でカウンセリングして貰った。
どこの歯医者でも「顎が小さいのでワイヤー矯正は不向きだし、治療に時間がかかる」と言われ、顎が小さくても早く綺麗な歯並びが手に入るということで高額な医療ローンを組み、セラミックの歯を手に入れた。

セラミック治療はほぼ毎回麻酔を打ち、健康な歯を削って抜いて歯茎を痛める治療だったし、三十路になるまで医療ローンを払い続けなければいけない。時折「あの時の選択は正しかったのか」と自己嫌悪に陥ることもあった。
しかし、そういった苦しみと引き換えに、唇をピッタリ合わせて口を閉じることが出来るようになり、自信を持って笑えるようになった。
そのおかげで自己肯定感を下げる原因だった自分の顔を愛せるようになり、自信がついたのだった。

自分を一番愛せるのは自分しかいない。妹に伝えたかった大切なこと

自分自身の経験を妹に話し、私はこう続けた。
「私もね、昔は自己肯定感が低かったとよ?自己肯定感を上げるには自信をつけないかんと思って。私の場合、コンプレックスを克服したことで自信がついたっちゃけど。やっぱり自分を一番愛せるのは自分しかおらんとよ」

妹の大きな目には表面張力でこぼれるのを拒む涙が浮かんでいた。
自信をつければ自己肯定感が上がり、自己肯定感が上がれば自分を愛することができる。
自分を愛することができた時に、やっと初めて本当の意味で他人からの愛を受け取ることができるのではないかと、妹に諭しながら自分にも言い聞かせた。

翌朝、酔いが覚めた妹は少しばかり腫れた目をこちらに向けてケロッとしていた。
昨晩の話は覚えているのかいないのか、あえて触れずに2人で出かける準備をした。
姉バカな私はヘアメイクに勤しむ妹に対し、いつも以上に「アンタ、本当に可愛いよ!」と激励した。
「この子が愛の受け取り上手になりますように」と祈りを込めながら。