十代のころ手に入れられなかったものに人は一生執着するという。その言葉を目にした時、こう思った。
美しくなかった十代の私は今もなお美しさに囚われ、それで今美容整形を繰り返しているのか、と。
いつも自分の見た目に自信がなく、人生が楽しくないのは自分が美しくないからだと思っていた。いつからか、友達を避け、恋愛も臆病になり、出不精になって人との関わりが減った。
冴えない自分にさよならを。二十歳で一念発起し「見た目」を変えた
アルバイト先の居酒屋で働く女の子たちは、皆美人だった。常連客の私への態度は、他のアルバイトの子たちと比べてあからさまに異なり、嫌になったので極端に出勤回数を減らした。代わりにスポーツジムでアルバイトをしたが、ランニングマシンを手入れする、パツパツのメンズのLサイズのユニフォームを着た自分が鏡に映っていて、惨めさに気分が悪くなり、帰った。
「こんな冴えない自分、そろそろ飽きた」そう思い、二十歳で一念発起した。
手始めに海外の怪しいサプリを飲んで生理が止まったり、体調を崩したりしながら18キロの減量に成功した。その次に、某アイドルが「瞼のお裁縫をしています」と笑顔で二重整形をカミングアウトしたことに衝撃を受け、自分も後に続いた。これだけで私の見た目は激変し、周囲は手のひら返しを始めた。
それでも瞼の厚い皮膚が気になり、眉下の皮膚を切除した。ついでに涙袋と唇にヒアルロン酸を打った。童顔に見られたくて、鼻と口の距離を近づける手術をした。笑うと鼻の下の傷が開くので、年末のお笑い番組の音が聞こえないよう、耳をふさいで自室に籠った。歯並びが悪いと清潔感がない、と聞き、すぐに歯列矯正も始めた。リスクと費用が高く、これだけはしない、と決めていた鼻の整形もした。マスクからはみ出る大きなギプスからは血が垂れ、人目を避けるようにうつむいて帰った。離れた目を近づけるために目頭を切って、目の下のだるん、とした腫れぼったい脂肪を取った。
大金と6年の時間をかけて手に入れた「美しさ」。気持ちも強くなった
手術はすべて成功した。
痩せたことで実際の身長より背が高く見られ、大きな二重の目に、つんとした尖った鼻、ヒアルロン酸とボトックスのおかげできゅっと上がった口角、綺麗な歯並び。どこからどう見ても私は美人になった。300万円以上の大金と6年という時間を代償にしたが、全く後悔はなかった。
外を歩く時ももう俯かない。苦労して大金を叩き、痛い思いをして手に入れた私の美しさを見よ、と堂々と歩く。
社会人になり、お局からパワハラを受けて辛かった時も、職場の全員が味方になってくれた。
美人なだけで、仕事では実際よりも高い評価を受けた場面もあったと思う。
飲みに行っても財布を出さなくて良いことが当たり前になった。
美人万歳である。
美人になると気持ちも強くなる。映画「ヘルタースケルター」で、全身整形の美女リリコが、お姉ちゃんはきれいで強くてすごい、と言う妹に「違うよ、千加子。きれいになれば、強くなれるんだよ」と語る台詞がある。その台詞に強く共感した私は、小さなリリコだった。
美しくなっても「手に入れたい」と望むのは一生手に入らないもの
果たして、今、私は尚囚われ続けている。
美に終わりはないから、なのか。だからいつまでも満足しないのか。もう今回で終わりだから、と毎回そう言いオペ室に入るが、あと何回メスを入れれば、私の心は解放されるのか。
本当に私が囚われているのは、美しさなのか。
その答えを知るのが怖くて、考えないふりを続けてきた。
しかし、考えるまでもなく、実は気が付いていた。本当に私が欲しかったものは、美しくなって自信を持った自分で青春時代を過ごすことだった、と。
「私は、本当はきれいな自分でもっと友達と遊びたかった。可愛くないからって引き籠ってばかりいないで、恋愛もしたかった。きれいじゃないから人生楽しくないって思いこんでたけど、もっと自信もって生きたかった」
口に出した瞬間、感情の波が涙とともに押し寄せた。
時は戻せない。しかし、私は尚焦がれ、一生手に入らないものを望んでいる。
鏡に映った一人涙を流す私は、息を呑むくらい美しかった。