今私が一番欲しいのは、シャネルのリップだ。
普段は数百円から1500円程のリップを塗っている私。4000円越えのリップなんて買ったことがなく、なかなか手が出せずにいる。
大人になったら、いつかシャネルの化粧品を使ってみたい――。小学生の時にシャネルの伝記を読んでから、ずっと憧れていた。自立し華やかに第一線で人生をかけて働いてみたい、と。
けれど、今の私とココ・シャネルの生き様はまるで正反対だ。
買い物ついでにふらりと立ち寄ったデパートのコスメカウンターで、思わず足がすくむ。
周囲にはピリッとしたスーツ姿のOLや、美しい桜色のスカーフを巻いた美容部員達。以前ならためらいなく入っていけたのに。
シワだらけの大きな買い物袋をぶら下げ、その袋からはネギがはみ出している。私だけが、場違いな気がした。
専業主婦がシャネルを身に付ける資格なんて、あるんだろうか――。
よほどメイクに詳しくない限り、他人がどんなブランドの、いくらのメイクをしているかなんて見ただけでは分からない。
プチプラなのか、デパコスなのか。メイクをしていることすら気が付かないことだってあるのではないだろうか。
値段に見合う価値はあるの?ブランドの広告料を買わされているだけでしょ?マスクで見えもしないのに……。
ケチでいじけた自分が顔を出し、逃げるようにカウンターから立ち去った。
しかし家に帰った後も、リップのことが頭から消えない。
仕事に行く予定なんて全くないのに、「お出かけにも、普段使いにも、オフィスメイクにも使える」なんて妄想が膨らむ絶妙な色。無性に惹かれてしまうのはなぜだろう。
シャネルのリップで"ちゃんとした私"に見られたい
ふと、数年前に「ファントム・スレッド」というオートクチュールの仕立て屋とそのミューズの映画を見たことを思い出す。
その時、父がこう呟いた。「高い服、ブランドものを身に付けることで、人は背筋が伸びる。着ることで自信が身に付くんだな」
そして大学生の時、就活メイクに奮闘する私に、母が「時間が無いときはね、とにかくリップだけでもしっかり塗るといいわよ。化粧してる感が出て、ちゃんとしてるように見えるから」と教えてくれたことも。
そうか、リップにこだわる私は"ちゃんとしてる"ように見られたいのかもしれない。
そして今私が欲しいのは、自分自身に対する自信、今の生き方を選んだことに対する自信なのかもしれない。
専業主婦でも共働きでも、"輝く女性"かどうかは自分で決めたい
専業主婦が主流の時代から、共働きが多数派な時代へ。
時代や国の経済状況によって求められ、理想とされる女性の生き方や働き方はころころと変わる。
女の子なんだからお手伝いを、花嫁修業を、経済的自立を、結婚して子供を産んで一人前、少子化が問題だ、早く子供を産め、仕事は絶対手放すな、産休育休は順番を守って、私達の頃はもっと大変だった、母親なのに……。
小学5年生の時、将来の夢を発表する会があった。
公務員や看護師といった仕事に就くことを語るクラスメイトの中で、将来の夢を「専業主婦になってお母さんになること」と語った女子がいた。
すると教師は「"お母さん"は仕事じゃない、夢じゃない」「"ちゃんとした仕事"を考えなさい、夢を持ちなさい」とその子を叱責し、他のクラスメイトもクスクスと笑った。
女の子として、女性として、正しく理想的な生き方って何なんだろう。
活躍しているかどうか、輝いているかどうか、他人にジャッジされなければならないのはなぜだろう。
5年、10年、20年の間にどんどん変わり続ける、"輝く女性"、"女性活躍"。
人生の選択肢があることは間違いなく良いことだ。
けれど、妊娠出産、子育て、仕事復帰……常に人生を逆算し「子供を2人産むなら遅くても30代後半で2人目出産、1人目は30代前半までに、そうなると結婚は20代後半かな?相手を探すにはーー」とリミットに追われて生きることに疲れてしまった。
時折、人生の逆算などせず、身体のリミットに追われず、仕事や夢に邁進する男性達が羨ましく見えてしまう。
私にはそう見えるだけで、彼等なりに悩みや不安、迷い、人生設計があるはずだと分かってはいるけれど。
今の私は、10代の頃に設計していた生き方とは全く違っている。仕事内容も、結婚も、出産も、住んでいる場所も、何もかもが。
これからもきっと、今まで以上に予想外の選択と人生が待っているんだろう。
でも、その時理想とされている生き方じゃなくても、女性として"輝いて"ないと言われても、自分自身が今必要だ、大切だと思った選択に自信を持って生きていきたい。