最近、縄文時代が流行っているらしい。

いや、流行っている、と言うのは語弊がある。一部の研究者の間で見直されている、とでも言い直しておこうか。

なんでも、信じられないくらい長期間、大きな戦争もなく大きな集落が維持され、人々が暮らしていたことが大変珍しいそうなのだ。狩猟採集をするときは森にある木の実を全部取るなんてことはせずにいる分だけを持ち帰り、時に農耕や牧畜をしながら生きる。そんな生活を長く、長く続けていた平和な時代から現代人の生きづらさを打破するヒントを得たいという痛切な願いが、ひそかな縄文ブームを巻き起こしているのだろうか。

日常で実感がわかない地球環境問題に関心を持つキッカケは…

私にとって、地球環境問題は実感の湧かない問題だった。住んでいる地域は異常気象に見舞われることもないし、真夏の気温が高いと言ったってエアコンをつけているから生きてはいけるし、温室効果ガスの排出削減は大きな工場や会社が動かないとどうにもならない。

それに、今までに何度か気候変動や地球環境の変化はあったはずだから今回も何とかなるだろうし、恐竜みたいに人間が滅んだらその時はその時だ、と思っていた。

私がエコに関心を持つようになったのは、幸せな生活ってなんなんだろうな、と、とある会社の就職説明会の後で考えたからだ。

その会社の採用担当者は、当社は日本の広い範囲に電気を通した、と誇らしげに話していた。
夜でも明るいから、時間を気にせずに仕事や勉強ができる。電気を通すことで、我々は日本人の生活を豊かにしました、と。

便利さは豊かなもの?疑問を感じたときに出会った「縄文時代」の生活

その話を聞いて、時間を気にせず作業や勉強ができるのは、果たして豊かなものなのかと疑問に思った。
確かに便利ではあるけれど、便利さが残業を可能にしたり、夜遅くまで子供を塾に拘束したりする。だんだん睡眠時間が無くなって、家族と話す時間も無くなって、友達とも疎遠になって。電気は人々の生活を豊かにしたのだろうか、と。

そんな時に出会ったのが、縄文時代の生活は持続可能でエコだ、というものだった。物を仲間同士で分け合い、資源は次のために全部取るようなことはしない。日の出とともに起きて日の入りとともに眠り、家族や集落の人たちと協力して生活する。

石炭や石油を掘りつくし、枯渇しそうになったら新しいエネルギー源を見つけてどんどん燃やし、土地を開いて大農園を作り、資本のない人は時間を売ってお金をもらう。こんな強欲で無機質で効率と生産性にしか目を向けない生活よりも、縄文時代の生活はとても豊かそうに見えた。

縄文時代を豊かに感じるのは、「現代特有の思い込み」を感じるから

現代社会は、いろんな人にとって生きづらいらしい。売れている本は、悩める人に寄り添う優しい毛布みたいだし、有名なドラマは日常の違和感を取り上げがちだし、人気のアニメや漫画は不条理な環境にいる人を鼓舞する内容ばかりであることからも、生きづらさは空けて見える。
その一端は、時間を有効に活用しなきゃとか、頑張って成長しなきゃとか、競争に勝たなきゃとか、他人と争ってより多くを手に入れないといけないという思い込みにあると思う。

だから、みんなで分け合って平和に生きていた縄文時代が、私にはとても豊かなものに映るのだろう。

ただ、現代日本で縄文人の生活をすることはできない。だから私は、いらないものは買わないとか、家族や友達を大事にするとか、早寝早起きを心がけるとか、小さいことに今、取り組んでいる。そうやって日常をちょっと丁寧に生きることが、私のエコである。