やりたいと思っていた仕事。でも、現実は甘くなかった

3月に4年間学んだ大学を卒業し、今、実家でこの文章を書いている。
なぜニートになったのか。それは「適応障害」になってしまったからである。

元々大学で映像制作などを学んでおり、それを活かして4月からはフリーランスとして仕事をしていこうと思っていた。
そんな時に少し早いタイミングで仕事にありつけることができた。私がやりたいと思っていたドンピシャのお仕事で、すごく嬉しかった。この仕事を足がかりにして、今年はガツガツ仕事をしていくぞ!と心の中では意気込んでいた。

しかし、現実はそう甘くなかった。

まず、Excelの壁にぶち当たった。基本的にExcelを使う作業が多く、上司も慣れさせるためにこの作業を最初に指示したのだと思う。
事務所の同じ空間で作業していて、どうしても分からないことがあればすぐに質問できたのだが、このコロナ禍ということもあり作業は基本在宅。そして、その日の成果を上司に報告しなければならなかった。

知らない作業を1人でこなさなければならず、調べてもわからないことばかりで頭を悩ませた。全ての作業が初めましてというわけではなかったが、調べたり比べたり参考資料を引っ張り出したり色々やっているうちに、時間だけが過ぎていく。
焦る気持ちと、どうしたらいいかもわからない、聞きづらい環境。この悪循環が自分の首を徐々に締めていった。

終わらない仕事が積み重なり、そこに上司のパワハラが重なった

そうこうしている内に他の作業もやらなければならず、終わらない仕事が積み重なって、気づいた頃には1人でどうにかできる量ではなくなっていった。
その状態になるまで、1人でどうにかしようとしたのもそもそもの間違いだったのだが、同時に上司のパワハラ紛いな言動にも耐えられなくなってしまっていた。

最初、挨拶したときから、少し言葉遣いが荒い人なんだなぐらいに思ってはいた。やはり時間が経つにつれて慣れが故のキツさが出てきた。
できない自分が悪い、何も知らない自分が悪い、と思って最初のうちは対処できた。だが、なんでこれそもそも教えてもらっていないことなのに責められているんだろうと思う出来事が増えていった。

その時あたりから、私はその上司に怯えることになる。
何か言われるたびにすみません、すみません。何度謝ったのだろう。怒った後のフォローもない、凹むだけの日々に段々心もついていかなくなった。

久しぶりに少しだけ休息ができた。溜まりに溜まったもやを電話で母親に吐き出した。
その時に、体壊してもやることなの?辞めさせてもらったら?と言われ、それでも私は自分が我慢すればいいだけだからと突っぱねていた。ここで辞めたら放り出す癖がついてしまうと、謎の強迫観念に駆られていた。
しかし、心はもう限界を突破していたのだった。
電話をし終えた直後から涙が止まらず、明日からもう行きたくない、無理だ、また怒られる、それだけが頭の中を占めていた。

ドクターストップがかかった。壊れてしまった設計図

だが、嫌でも朝はやってくる。
電車に乗って事務所へ向かう。嫌なことばかりが頭をよぎる。電車の中で泣いていた。その帰りも。また次の日も。
そんな日が続き、頭もほぼ回らなくなっていた頃、たまたま早く帰ることができた。迷わずメンタルクリニックの予約をして電車に飛び乗った。

病院の先生に症状や、いつから、今どんな仕事をしてるのかを聞かれた。わかりにくい職業のため、うまく説明できない上に思い出すだけでも涙が出てきてしまう。もうボロボロだった。
この状態で働くことはやめておいたほうがいいと、ドクターストップがかかった。情けない気持ちと、こんなはずじゃなかったという気持ち、もうこの職業には戻れないのではないかという恐怖。
気持ちはぐちゃぐちゃだった。

泣きながら母に連絡し、ひとまず親戚の家に保護された。食欲もなく何もかもが空っぽだった。
そのまま一番上の上司に辞めることの連絡をした。そんな状況になっているの知らなかったと言っていたが、それはそうだ。見えないところで起きていたのだから。
簡単な引き継ぎをし、実家に戻ってきた。

そして上記の通り、ニートになった。
これからどうなるか、正直まだ何も考えていない。文字に起こせるだけ回復はしたのだけど。

今年の設計図が序盤で壊れてしまったから、地道に作りなおしていかなきゃ。
大学で人生の夏休みを謳歌しきったと思っていたが、思わぬ延長戦ができてしまった。
この延長期間に少しずつ失ったものを拾い集めていきたいと思う。