自称「恋多き女」。私は、誰かを好きな自分のことが好きだ
私はどちらかといえば、内向的な性格だと思っている。でも、自称恋多き女だった。
惚れやすく、のめり込みやすい。内向的な性格のおかげで、ストーカー気質も兼ね備えていた。文章にすると自分のヤバいやつ具合が目に見えて、辛い。
学生の時は、常に誰かに恋をしていた。恋している自分が好きだったのかもしれないが、当時はその時好きになったその人が世界の全てだと感じていた。
どうすれば友達になれるか、どうすれば可愛いと思ってもらえるか、誕生日はいつなのか、好きな食べ物は何か、とにかく誰よりも「その人博士」でいたかった。
バレンタインには食べきれない量のお菓子を、しかも手作りで紙袋いっぱいに詰めて渡したこともある。冷静になれば、迷惑だし怖い。渡したい気持ちを全面に押し出していたあたり、学生の時に好きだった沢山の彼らは、自己満足度を上げるためのガソリンだったのだ。
それを決定的にしたのは、片思いで恋している最中は大好きだったのに、いざ付き合うことになると熱が冷めていく。
あぁ、私、誰かを好きな自分が好きなんだ。
私は大切な家族の一番の「博士」でありたいと思っている
学生時代、誰彼が好きだという気持ちに溢れていた私が、働き出すと仕事に打ち込んだ。休みもなしに働いて働いて、働き倒した。結婚して退職するまでの四年間は、私の予定は仕事に捧げた。
非常に楽しい社会人生活だったと、振り返って思う。元々営業職として採用をもらったわけではないのだが、新人研修を終えると私は営業職になっていた。
会社の上司は、私の恋する体質を見抜いていたのか。出勤時もお休みの日も、思えば常にお客様のことを考えていた。好かれたかったし、それ以上に相手のことを一番知っているのは私でありたかった。
私はお客様に、恋していたのだ。そして、お客様や、仕事が好きな自分が好きだった。
では、なぜ仕事をしていることが好きなのに、結婚と同時に辞めてしまったのか。
それは小さな時から、自分の家庭を持つことに強い憧れがあった。私の人生のテーマのひとつと言っても、過言ではない。優先順位がまだ見ぬ家庭にあったことが大きな理由である。
仕事を続けていれば、もしかしたら両立出来たのかもしれないし、働きたい気持ちは今もある。けれど、今はこれがベストだと思っている。
経済的には、夫の収入でやっていける。家にいることを許してくれている夫のおかげで、まだ保育園などに預けずに、息子との時間を過ごせている。これが家庭を作ること、守ることかと、日々噛み締めながら生活を送っている。
専業主婦として送る毎日を、つまらなく思う日はないと言ったら嘘になる。けれども、共働き世帯が多い中で、私は専業主婦なんだと鼻が高い思いにもなる。そして、共に暮らす夫、夫の両親や息子の一番の博士でありたいと思っている。
誰かに恋をする力は「切り替えの早さ」と「研究心」に進化した
私はどの場面でも、誰かに恋していた。自己愛の原動力として。まだ誰かのためにこの身を捧げる!という段階ではないけれど、自分のために誰かにこの身を捧げる!という思いで、今までの人生が決められてきた。
誰の選択にも左右されずに、ここまで来れた自分を褒めたい。内向的で、自分の気持ちがうまく伝えられずに自己愛を持て余して、周りに迷惑をかけていたであろう若かりし日の私に言いたい。
その時の熱い情熱を振り回してくれたおかげで、ここまで来れたよ。
今のあなたには想像つかないだろうけど、惚れやすい体質は切り替えの早さに、ストーカー気質は研究心として進化したよ。
きっとこの後も変化するから、乞うご期待!と。