AVというのは、そこに愛がなくても売り物になる。
性的な要素さえあればなんでも良い。
私はそれが嫌で、レイプ作品の出演に終止符を打った。
デビューして1年、撮影するたびに疑問に思う作品がある
この業界に入って、四宮繭としてデビュー作を出して1年が経った。
好きなプレイ、苦手なプレイ、NGを出したプレイ、経験して色々わかってきた中で撮影するたびに疑問に思う作品がある。
それはレイプ作品だ。
髪の毛を引っ張り、泣き叫ばせ、刃物やスタンガンで脅迫し、許しを懇願し、首を絞め、ビンタ、殴る、吐かせる、中出し、中には演出とはいえ殺してしまうラストのものもある。
勿論、それに興奮する人たちが買うわけだ。
そんなことをされても現実の女性は濡れない。
濡れたとしてもそれは興奮しているわけではない。
女性器を保護するための防衛反応だ。
なのに作り手側は、レイプされてもたくさん濡れるようにローションをたくさん女性器に仕込む。
女性がより性的に魅せられるように、ライトの当て方やカメラワークを都合よく動かす。
そうすると、レイプ願望のある男性の願望はより大きいものとなる。
レビューには、「もっと乱暴に弄ばれる胸が見たい」「涙を流し苦痛に歪む顔が見たい」。
女性をモノとしてなのか、奴隷としてなのか、ひどいコメントが連なっている。
平気でこんなコメントをする人がいるなんて、それを元に更に過激な作品作るなんてユーザーもメーカーも最低だ。
そう思っていた。
作品を見てトラウマになったファン。愛のない作品への出演をやめた
けれど、その中であるコメントが目についた。
「ファンだった子が本当に嫌がっているのを見てトラウマになった」
それは自分の好きなAV女優を目当てに買って、そしてその内容の酷さに買ったことを後悔するコメントだった。
このような正常な思考が働く人に、お金を出して後悔させたのは、売り手買い手だけの責任じゃない。
出演する私たちにも責任がある。
AV女優にはその作品に出演するかどうかの決定権がある。
非難して被害者ヅラをするのはただの愚痴でしかない。
だから私はもう、愛のない作品に出演するのをやめることにした。
私自身も業界に入る以前にレイプされたことがある。
ナンパされた時に、優しくて面白い人だと思って、そのまま口説かれてホテルに連れて行かれた時にレイプされた。
若かったからとはいえ、あまりにも慎重さに欠けていた。
中出しするぞと何度も脅され、逃げようとすると引き摺られ、吐くほど喉奥に男性器を突っ込まれた。
どんなに私がエロい人間でも、本当に苦痛でトラウマだった。
少しも興奮しなかった。
辛かったし、悲しかったし、怖かったし、無事に早く終わることを心の底から願った。
辛すぎて、すっかり記憶から消し去ろうとしていたんだろう。
私はその記憶がないまま、レイプ作品の撮影に臨んだ。
そして辛かった過去を思い出した。
同時に、これを好んで買うユーザーにも、売上のために作るメーカーにも、お金のために撮影している自分にも酷く憤りを感じた。
そしてそれを最後の撮影として誓った。
もう金輪際レイプ作品には出演しないことを。
お互いを尊重できない、愛のないセックスに何があるのだろうか
私はまだ発売されていないレイプ作品が1作残っている。
それが発売されるのが正直嫌だ。
自分で見返すことも絶対しないだろう。
正直、後悔しているし、販売停止申請をするか今も悩んでいる。
話は変わるけれども、私の最新作が大手AV販売サイトの無名作品部門で週間売上1位、そして現在進行形で11日連続日間売上1位を獲得している。
これは、私の大好きなイチャラブ作品だ。
休憩中も、スキンシップや楽しい話題をいっぱい出してくれた男優さん。
私の好きなプレイを尊重してくれた監督さん。
私自身も相手の男優さんに対して愛しいと思えたし、一時でも信頼と愛情に満たされたからこそのプレイができたと思う。
その多幸感や行為の気持ちよさが伝わるからこそ売れている作品になったのだと、私は考えている。
お互いを尊重できないセックス、つまり愛のないセックスに何があるのだろうか。
私にも、気持ちよければ良い、女性器と男性器の相性さえ良ければ感情なんて必要ない。
そう思う時期があった。
けれども、その後に残るのはいつも虚しさだった。
都合の良い関係性の再認識だけだった。
私らしく私の好きなことだけして良い。愛は私の志を変えた
現場はプライベートとは違う。
また会うかもしれないその時に楽しく仕事ができるかどうか、より良い作品が作れるかどうかが関わってくる。
その時の相手に、疑似でも恋愛のような感情があれば、相手もそう思っていてくれるならより良い作品が作れる。
きっとそれは買い手側にも多幸感をもたらすだろう。
愛のある性行為は、しっかりと私の数字としての売上になってくれている。
わざわざ嫌いな撮影へ臨んでまでお金なんて欲しくない。
だから、私は私らしく私の好きなことだけして良いんだ。
愛は私のAVへの志を変えてくれた。
そしてそれはきっと、ユーザーのAVの見方も変える働きを生み出すだろう。
私は、これからも愛のある性行為の良さを広めるAV活動をしていきたい。