小学校5年生の頃、毎日泣いていた時期があった。母親もどうなだめたらいいのかわからない、困った顔をしていた。
理由は「地球温暖化が怖いから」。
周りの人からは、そんな小5がこの世にいるのか、変な子どもだったんだね、と笑われる。

地球温暖化によってたくさんの動物が死ぬ、人間も生きられなくなる、人を殺せる蚊がでてくる、海面が上がって日本が沈む。こんな話を聞いた11歳が平気でいられるはずがない。
自分も死んじゃう、家族も友達もいなくなる、生まれ育った故郷も、動物も、全部いなくなっちゃう、と恐怖でボロボロ泣いていた。

どこで地球温暖化の話を聞いたのかはっきり覚えてないが、学校の図書館とか、親が読んでいた新聞とか、そんなところだろう。
その頃から、私は母親に「我が家のエコ娘(むすめ)」と呼ばれるようになる。泣いてばかりだった私が、行動を起こし始めたのだ。節電、節水、リサイクルに始まり、地球のためになることなら何でもした。

植物を植え、児童会長に立候補し、白くまの思いを版画にした

その中でも印象に残っているのは、二酸化炭素を減らさなきゃと、家にある鉢植えすべてに庭の土を詰め、当時駅で配られていた花の種をまいたこと。
家の庭にずらりと並んだ20個以上の鉢植えを見て、仕事から帰ってきた母親は大笑いしたが、そんな母親に私は、これで二酸化炭素が減って地球温暖化を止められるんだと力説した記憶がある。

学校でも、とにかく地球温暖化やエコについて皆に知ってもらいたかった。児童会長に立候補し、選挙活動で私が掲げたスローガンは「人にやさしく、地球にやさしく」。絵の具で描いた選挙ポスターも地球や植物の絵ばかりだった。

極めつけは図工の時間だ。それぞれが自由なテーマで版画の作品をつくった。我が家のペットや家族との冬休みを題材にした楽しそうな作品が教室を飾る中、私が必死に彫った版画は、小さな氷の上で泣き叫ぶ、白くまの親子だった。
今でも実家の階段の壁に飾ってあるが、子ぐまの悲しそうな目、大きな口を開けて叫ぶ親ぐまの力強さは、何か深いメッセージ性を感じる。

そんな子どもの努力も虚しく、大人たちは地球温暖化を加速させるようなことばかりしてるじゃないか。あんなに頑張ったのにかわいそう。子どもだった私に、よく同情してしまうことがある。
私が必死に植えた植物がちょっと二酸化炭素を減らしてくれたって、大企業はその何兆倍もの二酸化炭素を出している。都会の駅の周りにはゴミばかり散乱していて、「地球にやさしい」人なんていないとすら思う。大人になると見たくない現実も知ってしまう。嫌だなぁ、と思う。

大人になって現実を知ったけれど、私はもう泣かないし、諦めない

それでも私はまだ「エコ娘」をやめない。23歳になった今でも。
変えられない事実や、自分にはどうにもできない現状にも、自分の無力さにも何度も虚しくなった。それでも私がエコ娘でい続けるのは、やっぱりこの地球の上には失いたくないものがたくさんあるからだ。

学生の頃、外国の雄大な自然や、息を飲むほどの星空を見た。社会人になって、登山や自然の中でのハイキングを楽しむようになった。キツツキやリス、シカなどたくさんの動物を見つけるのも得意になったほどだ。

生まれ育った故郷にも、大好きな自然の風景がある。私はこの自然の美しさ、尊さを失いたくない。守りたいと心から思う。
年に数回帰る故郷の風景も、子どもの頃とは違って見える。子どもの頃には感じなかった優しさや温かさを感じる。

私も大人になった。あの時のように地球温暖化は相変わらず怖いが、もう泣かない。
どんなに速いスピードで地球温暖化が進んでいても、私が必死になれば、1秒でも食い止められるのではないかと思う。1秒でも長く、何かを失わずにいられるのではないかと思う。