私は根っからの優等生である。
教師の愛のビンタで更生した元ヤンではない。私は愛のために闘ったこともない。愛のために真夜中スカートを翻してネオンの街を駆け抜けたこともない。
壮大な愛のドラマなんてこれっぽっちも持っていない、25歳独身の会社員である。
……いや、思い返せばあれは、ちっぽけではあるが愛のために闘ったと言えるのかもしれない。
今日は私のちっぽけな反逆を聞いてほしい。

最悪な出会いをした彼のことを好きになった私。後悔はしたくなくて

ちょうど今から約1年前、桜が散り、最高気温が初夏並みになる日が増え始めた頃、彼と出会った。
男友達に誘われたタワマンでのホームパーティー。最悪な出会いである。
王様ゲームの罰ゲームでキスもした。
最初の1か月は毎日LINEのやりとりが続き、天気が良くて幸せだとか夏が楽しみだとか、そんな他愛も無いことを言い合ってはお互いの近況を報告し合った。

私は完全に彼を好きになっていた。
予定を合わせて初めて2人でデートをした日、私たちは例のタワマンで2回目のキスをした。一度罰ゲームでキスをしたことにより、私のキスのハードルは下がっていたのだ。

その日から、彼は仕事が忙しくなった。
そして、「今から来て」という急なお誘いしか来なくなった。
真夜中のお誘いは断っていたが、都合が合う昼間は彼の元へ行った。「今から行く!」と返事をしても彼からの返信が来ず、何時間も待って帰った日もあった。

彼に彼女がいることも、実は知っていた。
それでも彼と一緒にいれるならそれでいいじゃないの。彼が私をぞんざいに扱っていることくらい、私も馬鹿じゃないから分かる。
だが、転勤が多い彼がいつまで会いに行ける距離にいるか分からない。会えなくなったときに後悔はしたくなかったのだ。

恋愛上手な女性は、男性が自分をぞんざいに扱っていると知った瞬間、気持ちが冷めて、その男性から距離を取るのだそうだ。
自分を大切に扱ってくれる男性を好きになる。
そんなの本当の「好き」なのだろうか。
私の「好き」に、相手の私に対する思いは関係ないんじゃないのか。彼が私を都合いい女だと思っていても、私の「好き」は私が決めるものだ。

愛するおばあちゃんの孫である私を傷つけるやつは許せないと思った

友達が何度も何度も私を止めてくれた。私があからさまに不機嫌な顔をしても注意をしてくれた。
しかし、当の私はそう突っ返して、約1年間……そう、ついこの間まで彼を追いかけていた。

3月末、大好きなおばあちゃんの誕生日だった。
おばあちゃんは私が中学生のときに亡くなった。
おばあちゃんは、私が物心ついたときからアルツハイマーでぼけていて、私の名前は覚えていないし何度も同じことを聞くし、すぐに色んなことが分からなくなる。だが、そんなおばあちゃんのことが私は世界で1番大好きで、おばあちゃんと遊んだ時間は私の宝物である。
おばあちゃんとおばあちゃんを包む空気の優しさは、この世界の誰も持っていないものだと思っている。おばあちゃんの孫であることが私の誇りだ。

その日、私は1日中、おばあちゃんのことを考えて涙を流しながら仕事をした。
そして、ふと思った。

私は、私を大切にしないやつ、傷つけるやつを許せないと思ったことはない。
しかし、愛するおばあちゃんの孫を大切にしないやつ、傷つけるやつを私は許せない、と。

おばあちゃんからの愛が、私を雑に扱う彼の元へ走る私を止めてくれた

友達が何度も何度も「やめておけ」と止めてくれたとき、彼女は私に、自分を大切にする気持ちを持ってほしい、プライドを持ってほしいと言っていた。
ごめんね、私はまだ私自身を大切にすることはできないかもしれない。
しかし、この血管におばあちゃんの血が少しでも流れ、この生命をおばあちゃんの分も保っていると思ったら、私は途端に彼の元へこれ以上行くべきではないと思った。
そう思った瞬間、何度も止めてくれた友達の愛をやっと受け止めることができた。

愛が私を変えたこと。
私のおばあちゃんへの愛が、いや、あの日の私へのおばあちゃんの愛かもしれない。
私を大切にしない彼の元へと走る私を止めてくれた。

おばあちゃんの誕生日の夜、私はそっと彼のLINEをブロックした。どんな不在着信にも反応し、彼の返信を待っていた私のちっぽけな反逆。
彼と私の最後のLINEは、
「いつでも遊びにきてね!」
「じゃあ、3日はどう?」既読
だった。