小学6年生のある日、先生はエコを「偽善」と言い冷房を18度にした
私はエコは偽善だと思っています。人間が生きて生活する以上、どう足掻いても地球にとって良くないことに変わりない。エアコンや自動車なしで、今さら原始時代の生活ができますか?
エコを心がけるかどうかなんて、普通に殴るのをちょっと優しく殴るくらいにしかなりません。先生は意味のないことはしません。
小学6年生だったときの担任の先生は、そう言って教室の冷房を18度に設定した。うなりをあげ、冷たい風が押し寄せてくる。
日本海側特有の、湿度が高い猛暑日。まとわりつくような暑さが汗を誘って不快感を増やしていく。それが一気に冷えて腕に鳥肌が立つほど、極寒の教室となった。
しかし温度が上げられることはなく、先生は満足げに授業を再開した。
手足の先がかじかむ。さするくらいでは歯が立たない。半袖半ズボンの防御力の低さをこんなところで実感したくなかった。
45分間の授業。終了のチャイムが鳴ると、身体の芯まですっかり冷えた。かなりの数のクラスメイトが、我先にと廊下へ飛び出していく。嫌な蒸し暑さが今だけはちょうど良かった。
一個人でできるエコは小さくても、少しでも足しになるかもしれない
でも、エコってそういうものじゃない。先生の思想には賛成しかねる。歳を重ねた今、そう思う。
人間の営みが地球へダメージを与えざるを得ないことは事実である。だからといって、生活を原始時代に戻せというのも無理な話。ならば人間が地球にとって害にならないよう、進歩すればいいのだ。
自然エネルギー発電や電気自動車、紙やプラスチックの再利用。数多ある人間の努力をこれからも重ね、より適した形に進化させ、地球と共存できるようになる。
ただ、実現するために何年かかるかわからない。地球が壊れてしまうときまでに達成しなければならないが、その猶予期間を少しでも延ばすことが日々のエコになる、と思っている。
私という一個人にできることは小さい。それでも、少しでも足しになれば、という気持ちはある。
無理なく続けることこそ、エコを心がけるうえで大切になるはず
数年前、炭酸水メーカーを購入した。ちょうど、SDGsがメディアによく取り上げられるようになっていた頃だった。持続可能な開発目標。それが掲げる思想は、私の持つ価値観にも近く興味深かった。
さて、我が家は炭酸水の消費が多い生活をしている。家族で普段の飲料として、晩酌の割り材として。週に一度は空のペットボトルで満杯のゴミ袋を捨てる生活。反省したのだ。ちっともエコじゃない。こんなんじゃ、持続可能な消費行動と言えない。
炭酸水メーカーを使うようになり、ペットボトルのごみがぐっと減った。ごみ捨ての手間も省けていい。ガスシリンダーを交換しに行くのが面倒だが、よく行くスーパーで取り扱っているので買い物ついでに寄れる。なかなか我が家に合った選択だったようで、今も毎日活躍している。
いくらエコを心がけても、続けないと意味はない。私だって暑さ寒さを感じればエアコンをつける。先生のような温度設定にはしないけど。暑ければ薄着になればいい。寒ければ膝掛けをかければいい。そして無理なく2度ほど、地球に優しい温度に設定するのだ。