部屋には、見た目は可愛いけど使えない服が所狭しと並んでいた

もともとおしゃれ好きで、ファッション雑誌を毎月購入し、洋服やら靴やらバッグを、ファストファッションを中心にたくさん買うことが大好きだった高校生の頃の私。
部屋には、ビニールに入ったレースのミニのワンピースや、今はあまり見なくなったペプラムのブラウス。レースがついたニーハイソックスや、パールがついた付け襟。
肩紐がリボンのオフショルダーブラウスに、ホットパンツ並みのショートパンツ。
化繊で作られたペラペラした素材のオーガンジーのワンピースは、素肌に触れると痒くて一度しか着なかった。

春はパステルカラーのバッグを何個も、夏はカゴバック、秋冬はベロアやスウェードのバッグ。
安いバッグは外出先でショルダー部分の金具が壊れたり、スウェードはすぐにハゲハゲになった。
サンダルもパンプスもブーツも何足も並ぶ。
サンダルはくるぶしの皮が剥けて履けないし、パンプスはヒールのゴムが取れてなくなってから履いてないし、ブーツは足首が痛くなるからそんなには履けない。

そんな見た目こそ可愛いけど、使えない子たちが部屋に所狭しと並んでいるところを見られて、親に怒られたことがある。
そしてやっと、自分でもこれはちょっと依存に近いかもしれないと、はたと気づいて不安になった。

自分に設けたルールを頭に置いておくことで無駄な買い物が減った

そんな中で、これ以上買いすぎたり、無駄な買い物をやめるために、自分自身に設けたルールがある。
流行りに乗らないこと。自分をよく見ること。自分をよく知ること。
この3点をいつも頭に置いておくことで、いつかいらなくなるものを買わずに済む。

流行りに乗らないこと。
ミニスカートが流行った。ニーハイソックスが流行った。ゆるっとしたシャツにゆるっとしたパンツを合わせるのが流行った。今年のファッションカラーはグリーンだと誰かが言った。
そして、今。その流行りはまだあるのだろうか。
そもそも、流行りに乗る意味って何なのだろうか。
ファッション業界の購買意欲を掻き立てるための戦略に踊らされているだけではないのか。
これが流行りです!ではこれを買います!流行りに乗れてる私ってかっこいい!という感覚は、私には必要のないものだと思っている。
そして大々的に宣伝された流行りこそ、少しでも時間が経つと、ダサい人認定をされるから捨てざるを得なくなる。
そんなもったいないサイクルは捨てて良いと思う。

クローゼットに並べるのは「私のために選んだ」似合う服だけ

それよりも、自分をよく見て、自分が似合う色は何なのか、似合うデザインはどんなものなのか。好きな素材や色は何なのかを、あらかじめ知っておく。
そうすれば、似合わなくて着られない服、はなくなる。

ただいつも似たり寄ったりな服装なのもつまらないから、流行り廃りがなくて長く着られるタイプの違う洋服を買うのも大事だ。
例えばリブニット+フレアスカート、シャツ+タイトスカート、ワンピース+ショートカーディガン、が私の鉄板ワードローブだ。
そして母や祖母からもらったお下がりのアクセサリーなどと合わせれば、もう誰とも被らない、いつも素敵な唯一無二の私、ができあがる。

お下がりの洋服は、どうしたって黄ばみが出てきたり、チャック部分にガタが来たりするが、アクセサリーは色褪せることなくその魅力を発揮してくれる。
少しレトロなリボンのバレッタや、パールのネックレス、ちょっとした宝石の指輪など、祖母や母が買った、長く使える良いものが、時を経て私のもとに来てくれたという特別感は、それだけで私を幸せにしてくれる。

こうやって、私のために選んだ私が好きな、私に似合う服と、時を超えて私の元にやってきた美しいアクセサリーたちが、クローゼットに並んでいると、次に迎えるべきお洋服も必然的にきちんと考えて買おうという気になるものだ。