職場で「ミニスカートの女」が話題になった。
アルバイトの大学生で、いつもミニスカートを履いていた。彼女が帰ると、男性社員同士こそこそと何か話して、ニヤついている。彼女が来るのが、何の色気もない職場唯一の楽しみなのだ。

私も高校生の頃までミニスカートが大好きで、よく履いていた。
膝上スカートに8cmヒールのサンダル。周りの友人から足を褒められることが多く、唯一の長所だと思っていた。だから、毎日ミニスカートを履いていたし、足を隠すことの方が嫌だった。ミニスカートは若かった頃の私の「青春」だった。

ある時、友人が私に耳打ちして来た。
「あのおじさんが足見てたよ」
私はミニスカートを履いていた。その時は目線にも気づかなかったし、友人にさえイラついた。そんなこと言われても、どうしろと言うのか。友人は足を絶対に出さない人だった。

大好きだったミニスカートを、大学生の私はタンスにしまった

私は大学生になった。いつもの顔ぶれが消え、新しい友人ができた。
友人とランチを食べていると、こんな話になった。
「もうこの年だと足出せないよね」
「女子高生が足出してるの見ると寒そーって思うもん」
「私らみたいな暗い女子はロンスカだよね」
私はギクっとなった。その日からミニスカートはタンスの奥にしまわれた。

それからは、年配の女性がミニスカートを履いているのを見て、「年に見合わないよね」とか言って友達と笑い合った。女子高生のミニスカートを見て、「もう真似できないよね」とささやきあった。
すっかりミニスカートの「向こう側」の人間と化した。

いつの間にか、人からどう見られるかを気にしている私

そんな生活にも慣れた頃の「ミニスカートの女」だった。
彼女は性的に誘おうとか思って履いているわけではないだろう。ただ「可愛くなりたいから」履いているのだ。彼女は若く、この世の男達の汚れを知らない。
しかし、見てる側の人間は「軽そう」とか「自分を誘ってるんじゃないか」とか勝手なイメージを持つ。

実際履いている子はそんなこと思ってないことを、心の底から理解できる。しかし、今や私はミニスカートを履いている子を「馬鹿だな」と思って嘲笑っている。
今の私は「可愛くなること」よりも「人からどう見られるか」を気にしている。私が今履いてるのは、くるぶしまで丈のあるロングスカートだ。

「ミニスカートの女」を見てそんな自分が悲しくなる。しかし、棚の奥にしまったミニスカートを出す気にはならない。

性を隠して生きる社会で「ミニスカートを履いてもいい」と言えたなら

職場で働く女性は皆、足を隠している。男女が共に同じ場所で平和に働くための秘訣は、性を隠して生きることだ、と社会人になって初めて知った。
男性も同じ。彼らは安易な言葉を口にすると「セクハラ」という罪を背負わされる。私達はお互いを壊れ物に触れるように気を張り詰めながら生活をしている。

そんな中で「ミニスカートの女」の登場は、彼らの心の中のオアシスであり、何もない平凡な日常の刺激となっているのだろう。だから、そんな彼らをひたすら批判することはできない。

男性の好奇の目を向けられていることをミニスカートの女が知ったら、ミニスカートを履くのをやめるのだろう。しかし、それは私と同じ道を歩むということである。だから、無遠慮に声を掛けるのも憚られる。
「ミニスカートを履いてもいいんだよ」
その言葉が堂々と言える世界が来ることを信じて。その言葉は、心の中の引き出しにいつでも出せるように仕舞ってある。