先日、もうすぐ2歳になる子どもをベビーカーに乗せ、近所を散歩していた。すると「ちょっと奥さん」と後ろから呼び止められた。
振り返ると、60歳くらいに見える女性。道を聞かれるのかな。それとも、私が落とし物でもしちゃって教えようとしてくれているのかな。「なんでしょうか」と返事をし、立ち止まった。
「これ、あげるわ!」
唐突に差し出されたのは、ある映画のキャラクターのキーホルダーだった。遠慮の言葉は、彼女のマシンガントークによってかき消された。
これいいわよね、男の子のおもちゃだから孫にあげられなくて、それであなたの子どもにあげようと思って。

「その子に渡してあげなさい!」叱るように言われて従う私

いらない。コロナ禍のさなかである。見知らぬ人から物をもらいたくない。
よしんばそういう状況でなくても、そもそも不要な物はいらない。
しかしその女性は、私の遠慮の言葉に被せるように話し続け、キーホルダーを持った手をこちらに突き出しながらにじりよってくる。
私ひとりならいらないです、と強引に立ち去れるだろうが、ベビーカーを引きながらとなると難しそうだった。さっさと受け取るだけ受け取ってすぐにさよならするのが一番、接触が短く済みそうだ。
そう思案し、「ありがとうございます」と言うと、キーホルダーをほとんど押し付けられるように渡された。それで立ち去れれば、強引なおばあちゃんだったな、で終わりだったのだが。
「その子に渡してあげなさい!」
ぴしゃりと、叱るように叫ばれた。その声に、私は無意識のうちに従った。
子どもの手にキーホルダー。それに満足したのか、家でも遊ぶのよ、と手を振る女性。ありがとうございました、と伝えて早足でその場を去った。

ヒステリックだった母の影響で、強く言われると従ってしまう

すぐの角を曲がり、女性の姿が見えないことを確認し、キーホルダーを子どもから回収した。即、除菌シートで小さな手を拭く。
人を病原菌扱いして酷いと言われようと、ワクチンもまだ打てない子どもへのリスクは最小限にしたい。でも、そう思うならこの子にキーホルダーを渡すべきではなかった。

私は少しでも強く言われると、従ってしまう。目上の人に対しては特に。
幼い頃からずっと、母はヒステリックだった。私が悪いことをするとすぐに怒鳴る。テストで100点を取れなかった。禁止されているジュースを祖母の家で飲んだ。氷を寝転がりながら舐めた。
母の叱責は長く、怒りが収まらないと翌日以降も同じ内容で説教が続く。「ず」と「づ」の使い分けを国語のテストで間違えたときは、1週間以上毎日だった。

子どもを守れるのは私だけ。心を偽らず、嫌なことには嫌と言いたい

怖い顔と声でコントロールされ、私は良い子をずっとしてきた。それを克服していれば、あのキーホルダーを受け取らないか、せめて子どもに手渡すことはなかった。毅然と、コロナ禍なので結構ですと言いたかった。
犠牲になったのは子どもだった。私は自分の道理を貫ける心が欲しい。帰宅してすぐ、キーホルダーをごみ箱へ放りながら強く思う。たとえ、女性の行動が親切心からのものでも、私にとっては不要だった。それを曲げてしまったのは、他でもない私自身。

今回はコロナ禍における衛生観念、価値観の違いだった。では次に、道ゆく人から生ごみを渡されて、受け取りなさいと叱られたら従ってしまうのか。明らかにおかしいことでも、今の私には断れない気がする。
子どもを守れるのは私だけ。心を偽らず、嫌なことには嫌と言う。今すぐに、できるようにならなければ。この後悔を忘れず、気をしっかり持つのだ。
だって私はもう、親なのだから。