中学生のとき、東日本大震災が起こった。
ありがたいことに大きな被害はなかったものの、しばらくは計画停電の影響下で生活し、電気の大切さと脆さを思い知った。それ以来、電気の供給が元通りになってからも、こまめに電気を消すだけでなく、そもそも無闇に電気を点けないようにしている。
これはエコのため、という反面、電気がなくなると気分まで暗くなってしまうことを学んだので、いざというとき電気がない生活でも楽しめるように、予行練習をしている側面もある。
電気を点けないようにしたら、家の中が「見える」ようになった
たとえば夜中に水を飲みに行くとき。ずっと住んでいる2階建の実家は、自分の部屋を出て直進し、12段の階段を降りたら左斜め前にキッチンに続く扉がある。キッチンに着いたら、右手側のひんやりしているところがシンクだ。コップはいつも、シンクの左斜め前方のカウンターに並んでいる。
見えなくても難なく水を汲むことができるなんて、日中や電気があるときには気が付かなかった。
それから宿題をするとき。あまり暗い部屋だと目に悪いので、日中は陽の当たる部屋や窓に近い場所を選んで宿題をしていた。おかげで家のどちらが東か、何時にどの窓から陽が入るかわかるようになった。宿題がなくなった今でも、洗濯物を部屋干しする時に役立っている。
電気をなるべく点けないようにしたことで、自分の能力や自分の家のことがかえってよく見えるようになったと思う。見えているようで見えていないというか、それまで家の中に確かにあったのに、「知覚」していなかった情報がたくさんあることがわかった。
それだけではなく、「目が見えない人もこんな風に生活しているのかな」「猫はこうやって昼寝の場所を決めているのかな」など、自分以外の誰かの目線を想像する楽しみも増えた。
エコのための小さな変化を恐れすぎず、楽しむことができれば
電気がなくなったときは不安だったが、案外どうにかなるものだし、電気がある時には気が付かない面白さもたくさんある。きっと「電気がない」、というよりも、「今までの生活が変わる」ことが漠然と不安だったのだろう。
エコのための活動は、小さなことでも「今までの生活を変える」ことになる。レジ袋をエコバッグに変えたり、マイ箸やタンブラーを持ち歩いたり。
意識的に、あるいは無意識のうちに、その小さな変化に不安や嫌悪感を持つこともあるだろう。
でも思い切って変えてみると、新しい発見があるものだ。「変化を恐れるな」とはよく聞く言葉だが、本当に意識して恐れないようにしないと、案外見落としてしまうものかもしれない。
コロナ禍で変化に乏しい生活を送りがちだが、エコのための小さな変化を自分で作って自分で楽しむことができれば、環境にもよくて自分の生活も楽しい、まさに一石二鳥だと言えるのではないだろうか。
私も意識高くエコに取り組んでいるわけではないが、みんなが小さな変化を意識し、地球のためというよりは自分の生活のために、あまり身構えずに楽しめればいいと思う。そしてその結果地球が少しいい場所になるといいな、というのが私にとってのエコ活動だ。
これからも小さなことから少しずつ、エコのための変化を意識するようにしたい。