私は非常に流されやすい性分だ。雰囲気に飲まれがちというか、自分がないというか。
全然知らないアーティストのライブでもノリノリで楽しめるし、会ったことのない遠い親戚のお葬式でも涙ぐんでしまう。こういう人間は主体性がなく、あまり褒められたものではないが、押せばいける女というのはある程度人気があるらしい。
相手の押しに負けて交際するパターンは中学から大学まで続いた
初めて男の人と付き合ったのは中学生のときだった。不器用で偏屈な変わり者だった。
部活で出会った彼はなぜか私を気に入ってくれて、付き合う前から容姿や性格を褒めてくれて、気づけばいつも隣にいた。話していて楽しい、正直その程度の気持ちだった。
どうやら彼が異性としての好意を私に向けているらしいと気づいたとき、付き合う気はないなとハッキリ思った。にも関わらず、熱烈な好意をぶつけられ、満更でもなかった私はそのまま彼と付き合ってしまうのだ。
もちろん中学生同士の交際なんて、ままごとみたいなものだ。少なくとも私はそうだったので、彼とは手もつながずに終わった。この押しに負けて流される交際パターンは、残念ながら大学まで続いた。
色んな人と付き合ったり別れたりしながら、どうして付き合う必要があるのかと考えた。
いつかは別れるのなら、友達でいた方が息の長い付き合いができるだろう。事実、これまで交際して別れた異性は連絡先すら知らないが、中学からの親友とは二十歳を過ぎても毎日LINEするくらいの仲だ。
恋人だのなんだのは、一定期間相手の体を自分のものにする権利に綺麗な名前をつけているだけなんじゃないか。流石にひねくれているとは思うが、私はこの考えを上手く否定できないでいた。
とにかく幸せでいてほしい。この願いこそが「愛」だと思った
その後、アルバイト先ですごく優しい異性の先輩と出会った。大学は違ったけれど、シフトの関係で毎日顔を合わせているうちに、私は彼がとても好きになってしまった。
彼は人の心に寄り添うのが上手くて、暗い話も明るく笑い飛ばしてくれて、何より相手の立場に立った考え方のできる人だった。とても優しくてお節介だけど、相手の嫌がることは決してしない人だった。
恥ずかしながら流されるまま異性と交際してきた私には、自分の好意を相手に伝えることがとても難しかった。この人と付き合いたい、友達としてではなく恋人として特別な目を向けてほしい、そこで男女の交際の意味を知った。彼らはこういう意図でお付き合いをしていたのか。
なにより私の心を占めるのはその想いだけではなかった。付き合わなかったとしても、とにかく彼に幸せでいてほしいと思ったのだ。
なるべく健康で幸せで、できれば毎日ご機嫌で過ごしていてほしい。顔を顰めるような困難が最大限、彼に降りかからないでほしい。この願いこそが愛だと思った。
彼のおかげで立てたスタートライン。愛情を抱くのは簡単じゃない
結局彼とは付き合わないまま、私はアルバイトを辞めてしまった。もう連絡先すら知らない今でも、もし気持ちを上手く伝えていたらとか空想しながら、私は彼の幸せを密かに願っている。
人を好きになるって、誰かに愛情を抱くって、きっと簡単なことではない。私は彼のおかげでそれが出来た。そしてこれからも出来るだろう。ようやくスタートラインに立てたような思いだ。
これまで付き合って来た男性達は、私に対してこんな愛を向けてくれていたのだろうか。それが分からない時点でかなり不誠実だ。これまでの自分を恥じるとともに、謝罪の気持ちを抱いてしまう。
手を繋ごうが体を許そうが、私は貴方達を愛していなかったかもしれない。ひょっとしたら貴方達も私に対してそうだったかもしれないけれど、それでももっとちゃんと愛を知ったうえで、貴方達と向き合うべきだった。
ごめんなさい。