ぬか漬けを作ることで、野菜を捨てることがなくなった

ぬか漬けにハマっている。
子供のころは、祖母の家に行くと必ずキュウリの漬物が出てきて、その独特な味わいに困惑していたというのに、今では自分で作ったものを毎日のように食べている。
漬ける食材は、主に冷蔵庫の奥から見つかったしなびたキュウリや、中途半端に残ったニンジンだ。大抵のものは漬けられるし、なんならトマトやアボカド、チーズなど小洒落た食材も合う。
今では野菜を使いきれなくて捨てることがなくなったし、苦すぎてそのままでは食べられないダイコンも美味しく再利用できるからありがたい。

野菜をゴミ箱に捨てる行為って、「丁寧な暮らし」から一番遠い気がする。「食べ物は大事にしなさい」と言ってくる親の顔や、その野菜を作った農家の方の顔が思い浮かんでしまうので、色々な人の期待を裏切っているという罪悪感がすごい。
だから、自家製のぬか漬けを食べているとき、ちょっとだけ「エコだなあ」とホッとする。

ぬか漬けづくりは簡単だけど、祖母の家で食べた味とは違った

ぬか漬けのはじまりは、ぬか漬けにハマっている50代の上司が、毎日のように「オクラの漬物が美味しい」などと言ってきたのがきっかけだ。毎日聞いているうちに、自分もやりたくなってしまったのだ。

最初はスーパーに置いてある簡単なぬか漬けキットを購入した。袋に入ったぬか床に野菜を入れるだけで簡単だったけど、どこか塩気が強くて、味が浅くて、あの頃の祖母の家で食べた味と全く違うものが出来上がった。

祖母の味に近づけるために、昆布を足したり、唐辛子を入れたり……あれやこれやと試行錯誤しているうちに、自分でいちからぬか床を作った方が早い、と思った。
家の近くにある精米機で、米ぬかを「ご自由にお持ち帰りください」と配布していたので、ありがたくいただいた。無料の米ぬかに、水、塩、ビール、昆布、唐辛子を入れて、いくつかの捨て野菜を漬ける。そうしてやっとできたぬか床に野菜を漬ける。
朝ごはんや夕飯の支度の時、埋まっている野菜をほじくり出して切るだけで一品になる。子供の頃はあれほど苦手だった味も、大人になると一口食べた時、ほっと安心するようになった。味覚が変化したということだろうか。

ぬか床をかき混ぜている間、頑張る日常に思いを巡らせる

今ではこのぬか床が可愛くて仕方ない。私だけの箱庭のような存在だ。
ぬか漬けは発酵食品なので、この小さな宇宙の中でいくつもの細菌が活発に動いて生野菜を発酵させてくれているという。
友達から「ぬか漬けは毎日かき混ぜる、その手によっても味が変化してくる」という嘘みたいな話を聞いた。私の手についている細菌がぬか床の一部になっていくのだろうか??
目に見えない細菌たちが活動していく様子を想像するとより一層愛おしくなる。私の小さな手、PCを叩いた手、電車の吊革を必死になって掴んだ手、セックスをして男性器を扱った手、そんな手でかき混ぜているぬか床が、私を慈しむ味を作り出してくれる。

わたしのちょっとしたエコは、ぬか漬けを漬けることだ。
捨て野菜を美味しく食べることができる上に、節約もできる。何より自分の手を意識することって日常生活の中でなかなかないけど、ぬか床をかき混ぜている時間は、この手で頑張っている日常のあれやこれやに思いを巡らせる時間になる。
今日も1日頑張った手を使って、新しい宇宙を作る。気のせいかもしれないけど、最近、便通がいい。