女の子なら1度は妄想したことのある世界、アイドル。
華やかな衣装とサラサラの髪をなびかせて踊る姿。明るい笑顔で歌う姿。ライブ会場でファンに向かってファンサービスをする姿。まれに地上波のバラエティ番組に出る姿。全てがキラキラしていて、憧れる存在。

小学校から高校まで、ずっとアイドルになりたいと思って生きてきた

そんな私は小学生の頃、カリスマ的な存在だったAKB48に憧れていた。将来はアイドルになりたい!と思い至ったきっかけ。
なりたいとは言ってもまだ小学生。制服スタイルの衣装を買ってもらい、大きめのリボンをポニーテールにつけて、音楽を流して踊るだけでアイドル気分を味わえて、それだけで満足だった。時にはライブDVDを流しながら、2時間近く1人でアイドルごっこをしていた時もあった。
アイドルになりたい!という漠然な考えを抱えて過ごしていた。

しかし中学生にもなると、思い描く将来が具体的になってくる。同時に人の目が気になるお年頃、もちろん「将来の夢はアイドルです」とは言えなかった。
反対されるのは明らかだったので親にも言えなかった。ダンスや歌を習いたいけど、自分にそんな大金は持ち合わせていない。でも親には恥ずかしくて言えない。

そんな中、どうにかしてアイドルになりたい私が始めた、費用0円の日課がある。
それは姿見の前でアイドルらしいポーズを練習すること。鏡に映る自分の姿を観察して盛れるポーズを研究していた。貯めていたお小遣いで雑誌や写真集を買って、お気に入りのポーズを真似していた。

高校生にもなると、独学で歌やダンスを練習していた。より一層アイドルになりたい気持ちが強くなる。
しかし、あることがきっかけで、アイドルに対する気持ちが変わる。

初めてのライブで感じた、アイドルとして存在するための努力

K−POPが日本で流行していた頃、友達にオススメされた韓国の男性アイドルグループに熱中していた。そしてこのアイドルのワールドツアー日本公演が、私の初現場(初めてライブ会場に行き、実際にアイドルを見ること)となる。

グループカラーに染められたペンライトの明かり、一瞬たりとも目が離せない揃ったダンス、会場全体が揺れるほどのファンの声量。全てに圧倒され、心地よかった。

私はそこで目を覚ました。私が今まで目指していたものは、こんなにも美しくて、儚いものだったのかと。
自然と涙が出た。それは自分に対する悔し涙なのか、憧れの人に出会えた嬉し涙なのか、当時の私には考えても分からなかった。努力の結晶だけでは計り知れない「なにか」を感じた。
キラキラしてるから、愛されている姿が羨ましいから、人気者になりたいからという中途半端な動機で目指すものではないのだと強く思った。
アイドルは歌って踊るだけではない、歌に命を吹き込み、ファンに幸せな時間を与え、毎日を前向きに生きていくための糧をくれる。ファンには決して見せない、見ることはできない「存在のための努力」 を感じた。

ファンはアーティストの鏡。誇りをもって紹介されるファンでありたい

このライブをきっかけに、アイドルになることをきっぱりと諦めた。同時に応援する側の楽しさと幸福感に気付いた。今では立派なオタクだ。

最近は芸能人だけでなく、一般人の間でもSNSによる誹謗中傷が深刻な社会問題となっている。
インターネット上での根拠の無い悪口や文句の書き込み。容姿をけなす書き込み。死に追い込むような悪質なコメントやメッセージ。アイドルに対する誹謗中傷も後を絶たない。
もちろんアイドルもひとりの人間。有る事無い事を言いふらすのはアイドルもファンも気分が悪い。アイドルにとって心の支えになり、誇りを持って紹介できるファンでありたいのが応援する側の心理。
「ファンはアーティストの鏡」とよく言われる。ファンの行いとアーティストの行いは必然的に伝染していく。それぞれが混ざり合うことで「ファミリー」を創っていくものだと思う。

アイドルになるための努力、アイドルとして上り詰めるための努力。私なりに感じ取ったからこそ今ある有意義なオタク生活。
アイドルの存在が、私を変えた。