突然だが、私は他者から注がれる無償の愛を感じ取るのに時間がかかった。物心付いた頃には学校にも家庭にも居場所がなく、人を信用するということができなかったからだ。
そんな私が当時求めたのは、歪んだ愛だった。
私は小学校に入学して幾日も経たぬ間に、原因不明のいじめに遭った。
理由は自分でもよく分からない。少なくとも人をいじめるような力は備えていない、ただの弱い者であったことは事実だ。そして一年生のうちに、大人も耳を疑うほどの集団暴力に遭ってしまった。
学校での帰り道、歩いていたところをいきなり止まって目をつぶるよう指示をされ、そのまま土をかけられてしまった。しかし、当の加害者たちはへっちゃら顔で容疑を否認した。
最終的には教師が問い詰め、罪を認めて私の所へ謝りにきたが、成長するにつれて、教師の指導によって事が改善されることがまだましである、ということに気づかされることとなった。
誰かと口論になっても無関心よりは心地が良い。加速する私の歪んだ愛
5年生になると、クラスの大半の生徒が、私の触った物は汚いと言うようになり、もはや一人の人間としては扱われなくなっていた。
耐えかねた教師が注意をするが、大半の生徒が聞く耳を持たなかった。学年が上がるにつれその残虐性は増していき、中学に上がった頃には誰も話しかけてくれなくなってしまった。
そんな私は次第に、周囲から歪んだ愛を求めるようになっていった。
歪んだ愛、それは名の通り信頼関係のない言い争いだ。みな普段は私を避けるが、教師の目を恐れて学校行事の時にのみ私を誘ってくる。嫌気のさした私は、
「プライドのために利用するのはやめて欲しい」
と、その都度誘いを断った。
すると反抗する者、普段とは打って変わって宥める者と対応は様々であるが、女子のクラスメイトの大半は練習を中断し、私の所へと駆け寄ってきた。
決して信頼関係の構築された適切なコミュニケーションではないけれど、みなに無関心をされているより心地が良い。それからというもの、私は敢えてけんかを売るような口論を持ちかけることが増えていった。
両親の罵倒が私の存在を前提としたやりとりに思え、居心地がいい
居場所がないのは、家庭でも共通することだった。
両親の関心は成績と進路選択のみであり、反対を押し切り文系科目を選択した私は両親にとって恥じるべき存在となった。
「あんたが子どもでどんだけ恥ずかしい思いしていると思っているの」
「文系を選択するのは怠けている証拠」
両親には私が一人の人権を持った人間であるということが頭にないようであった。そして私は両親に対してもまた、歪んだ愛を求めた。
私は敢えて両親の反対する進路を希望し、罵倒させる。これまた無関心より居心地がいい。たとえそこに信頼関係が生まれていなくとも、私がそこに存在することを前提としたやりとりだからだ。
その頃祖父が亡くなったが、私は断固として見送る姿勢を見せなかった。これもまた、両親に背を向けるいい機会だと思ったからだ。
大学で出会った人たちがくれた無償の愛が、私を変えていった
そんな私が初めて無償の愛に触れたのは、大学に進学してからのことであった。
講義では、私が分からず止まっていると、自分を犠牲にしてまで駆けつけてくれる優しい女の子に出会った。これまで人を頼ることすら許されないと思っていたが、周囲の人たちは何の見返りも求めることなく、無償の愛を与えてくれた。
これらの積み重ねを通して、私は徐々に閉じたままだった心を開くようになり、歪んだ愛ではなく無償の愛を求めるようになっていった。
そしていつしか私は、他者に無償の愛を与える人間になっていた。最近では最悪の選択をする直前だった友人に一週間に何度も電話をかけ、友人を失って悲しむ人間がここにいることを伝え続けた。
大学進学を機に得ることのできた無償の愛は、それまで殻に閉じこもったばかりであった私を外に導き、他者をも導き出す存在へと変えていった。
愛には人を変える力があると、自身の人生を持ってここに証明したい。