授業参観の日、「絶対に行く」と約束した母の姿は見当たらなかった
愛には、いくつかの種類がある。親愛、友愛、師弟愛、恋愛、情愛、自己愛……。
人間は一生のうちに、どれだけの種類の愛を感じられるのか、まるで心の中にスタンプカードのようなものがあって、それを埋めていくことが、「生きていくこと」なのかもしれない。
私は4人兄弟の3番目に生まれ、小さい頃から割と静かで聞き分けの良い、手のかからない子だったそうだ。物心ついた頃には、母は上の姉兄たちの学校の準備に追われ、小学校に入ると6歳下の弟の世話に翻弄していた。だから当時の記憶は、悲しいものが多い。
あれは、確か低学年の頃の参観日だった。その時は体育の授業で、親子で大縄をする企画がされていて、母は「絶対に間に合うように行く」と約束していたのに、授業が始まってしばらく経っても母の姿を見つけることができなかった。
私はどこのグループに混ざることもできないで、泣きながら運動場をうろうろしていた。この記憶だけは、私の中の悲しい思い出の一つとしていつまでも残り続けている。
誰かの愛情を求めた一方で、自由でいたい気持ちも持っていた
そのせいなのか、思春期に突入した時に、やけに愛情が枯渇して苦しんだ記憶がある。
この世界で私を愛してくれる人なんて一人も存在しないものだと、絶望して眠れない夜もあった。
一度、母と一緒ならば眠ることができるかもしれないと思って試してみたけれど、案外寝心地が悪く、何時間かして自分の寝床に戻ってしまった。
誰かの愛情を羨望していた私は、手放されている自由というものを知っていたらしい。高校3年生の時、母は献身的に私の受験生活を支えようと、ほとんど付きっきりで世話を焼いてくれたけれど、耐え難いほどの息苦しさを感じていた。そのせいではないけれど、現役受験は失敗して1年間の浪人生活を過ごした。
浪人生活が始まる時、母に「できれば放っておいてほしい」と頼んだ。
それから私は、少しずつ思春期の苦しみからは脱していった。愛情枯渇の原因の一つだった、愛情表現の下手な祖父母からの愛は諦められるようになったし、両親は自分の求める距離感で見守っていてくれているし、身内以外の人からも愛情を受けていることにも気がつくようになった。
私を大切に思ってくれる先生や、定期的に連絡をくれる友人……。それ以外にも見知らぬ誰かの親切を感じる度に、世界の温かさを知った。
たくさんの愛を知ったが、私はまだ恋愛、情愛を知らない
今では、たくさんの愛を知るようになった。姪っ子が誕生してからは、私も愛を注ぐことができるのだと知った。
けれどまだ私は、恋人ができたことがない。恋愛、情愛を、未だ知らない。
少し前からマッチングアプリでマッチした男の人とデートしたり、街コンに行ってみたり、大学時代に気になっていた人に連絡してみたり、ネットで知り合った人と会ってみたりしたけれど、どの人もパッとくることはなかった。
挙句のはてには、初めて好意を抱いた人にお金を貸し、返金の催促をすると音信不通になった。ここへきて大失敗だ。ここへきて、というか、初めての大失敗である。
この話はちょっと面白くなりそうなので、またいつか。とりあえず恋愛の酸いを体験してしまい、やけに中島みゆきの曲が心に染みるようになった。
さて。愛には、いくつかの種類がある。私は27年間の人生で、たくさんの人の愛を受けて愛を知り、そして私自身も愛を持っていることを知った。
私のスタンプカードは、たくさんのスタンプで埋まっている。残りの愛は、一体いつどこで私を待ち受けているんだろう。
最初に大失敗をしたので、恋愛で今後はこれ以上の失敗がないことだけをただただ祈ってはいる。けれどそれも含めて、老いて人生を顧みたとき、私はきっとふっと笑ってしまうだろう。