その日のこと、将来のこと…友情と青春が詰まった交換ノート
私にとって捨てられないものは中学時代、友達6人と書きあった交換ノートだ。
A5サイズの小さなノート5冊。それには、その当時の友情と青春が詰まっている。そして、そのノートは私の背中を後押ししてくれる大きなエネルギーとなっている。
なぜ、交換ノートが始まったかというと、私の提案からであった。最初は女友達だけで始まった交換ノートだったが、私の男友達も混ざり6、7人くらいでクラス内でも有名な交換ノートにまで上り詰めた。
私は、当時ドラマで見ていた「オレンジデイズ」に憧れて、「オレンジノート」と名付けた。最初に何を書くかだけで話が盛り上がり、みんなで自由に絵や文章を書いたことを覚えている。代わりばんこに自宅に持って帰って、その日の夜のことや将来の不安や楽しみなこと、たまにくだらない妄想家系図や絵なんか描いた記憶がある。
このエッセイを書くにあたり、久しぶりにノートを開いてみた。もう連絡が途絶えてしまった友人もいるが、当時誰が書いたものかすぐに分かる。仲間の似顔絵や、「授業嫌だー」とか「〇〇の将来」と未来の予想をしていたり、みんなで行くイベントの出欠を取ったりしていた。
病気、コロナ禍…予想図よりも脆くて壊れやすい未来が待っていたけれど
その中に私の未来予想図が書いてあった。友人の予想では、母親的な存在であった私は将来社長になって会社を起業していることになっているらしい。自分では、塾の先生になり40代には書道の師範資格を取っていたい、と書き記してあった。
私の将来は、予想していたものよりもずっとずっと脆くて壊れやすいものになっていた。社長どころか、会社に属さず職業訓練を受けている。「また組織の中に入ることになったら、また繰り返しにならないだろうか」と怖がっている自分もいる。
そんな未来予想図もコロナや病気や仕事によって壊されてしまった。20代で適応障害という一生付き合っていくかもしれない病気を抱え、「この先どうして行けばいいのだろうか」と常に不安が付きまとっている。仕事につくことができても、その仕事が長続きするかわからない。
プライベートだって、今頃結婚しているはずだったかもしれない、コロナウイルスが無ければ友達や同期のみんなとお花見に行けたかもしれない。コロナが蔓延していなければ、「休みの日の過ごし方を気をつけるように」なんてミーティングで言われることもなかったかもしれない。
でも、過去に書いた友情の証は変わらずにそこに存在している。だから、私は現状に負けずなんとか前を向こうとしている。
ノートに記された言葉を胸に、自分は一生懸命前を向く
人の敵は人。でも、人の味方もまた人である。
どこかで聞いた、いい言葉だ。職場や社会で関わる人が敵であったとしても、当時のノートに記されている誰かが紡いだ言葉は、人の言葉として私の味方をしてくれる。
ノートに描いた未来予想図に自分を近づけるために、友人たちや仲間に恥じない自分でいるために、愛する人を悲しませるようなことをしないように、自分は一生懸命前を向く。そして、現状に嘆くことも文句をつけることもあるけれど、それでも踏ん張って未来に向かっていく。
ここまで書いてみて、今晩ノートの表紙を集めたものをみんなにラインすると決めた。「まだ証拠はここにあるよ」「またみんなで会えるといいね」「みんなのことが大好きだよ」と伝えたい気持ちになったからだ。
友人の中には苦難に晒されている者もいる。だから勇気づけたい。社会の荒波の中でも、あなたを味方してくれる素敵でくだらないことで笑い合った仲間がいるよ、と。
さて、私の話はここまでにして、友情の証を振り返る時間にするとしよう。