人間は、知らず知らずのうちに誰かの言葉に呪われている。呪われていることを、自分自身の力で気づくのは、とても難しいように思う。

私は高校生まで、何かと「コミュ障だね」と言われる事が多かった。それも、当時一番よく一緒に過ごしていた友人に言われ続けてきた。
素直すぎた私は、彼女のそうした一言に悪意があるなんて少しも思わず、自分の客観的な評価として受け取って、バカ正直に「そうか、自分はコミュニケーションが苦手なんだな」と思っていた。

脱コミュ障のために始めた接客業。なぜか店長は私を褒めてくれた

その後、彼女とは卒業を機に離れることになって、私はアルバイトを始めた。一人暮らしだから自分を孤独にさせないために、何より自分はコミュ障だから鍛えないと、という考えで接客のアルバイトを選んだ。
会話が苦手で、お店に迷惑をかけてしまうかも……と思いきや、何日かして、店長からはまさかの「君はコミュニケーション能力があるねえ」という、これまで言われてきたこととは真逆の言葉をいただいた。

自分が? と耳を疑った。初めは、店長なりの気遣いなのかと思うことにした。
自分に対するマイナスな評価は正直に受け取るくせに、ポジティブな評価に対しては卑屈に構えてしまう、何とも悲しい自分の悪い癖だと今は思う。
けれど当時は「きっと、プラシーボ効果のように褒めて伸ばそうとしてくれているんだ。自分にとって都合のいい言葉を拠り所にしてはいけない。ここで調子に乗ってはいけないんだ」と、心の中で何度も自分に言い聞かせなければいけない気がしていた。

とうとう店長が怒った。1年以上にわたる店長と私の戦いの終わり

ここから、日常的に店長と私の褒めと謙遜合戦が始まった。そのお互い一歩も引かない謎の意地の戦いは、1年以上は続いた。
これは日本人であればどこにでも、誰にでもある日常の風景なのかもしれない。でも、大抵の人は過度な謙遜をされれば褒めるのが面倒になって次第に褒めることをやめていくのに、店長はいつも、どんな時も同じ熱量で声をかけ続けてくれた(大人になって、社会に出た人なら、この声かけが如何にありがたいものか分かって頂けるのではないだろうか)。

でも、そんな戦いもある日、終止符を打たれる。
いつものように店長との何気ない会話の中で何かを褒められた後、私が過度な謙遜をしてしまった時、遂に痺れを切らした店長が「私がそう言ってるんだから、そうなんだよ!」と、私の目を真っ直ぐ見つめて少し怒ってくれたのだ。
1年以上かけて、ようやくはっと気づかされた。私は逆に、とんでもなく失礼な事をしていたのではないか、と。

図に乗ってはいけないと思うばかりで、自分に手を差し伸べてくれる人の事を知らず知らずのうちに否定してきてしまったこと、そしてこの人はずっと私にかけられた「呪い」を解こうとしてくれていたことに気づけたのだ。
卑屈で面倒な人間に、根気よく、仕事でもないのに声をかけ続けてくれたこと。これを愛と呼ばずして、何というのだろうか。

私のコミュ力が花開いたのは、周りの人の愛のある言葉のおかげ

それから店長との戦いは私が折れる形で静まり、それ以降再燃することはなく、反省した私は試しに「自分はコミュニケーション能力がある」人として振る舞っていくことにした。就職活動をしていた時も、おこがましいと思う気持ちを抑えつつ、自分のコミュニケーション能力をアピールしてみたりもした。

いつか自分はそうではない事がバレるのだろうと思いきや、「それは嘘だ、大袈裟だ」と私を指さす人はその後誰も現れなかった。逆に、有難いことに自分と関わってくれる方の多くが「落ち着いているね、コミュニケーション能力あるよね」と評価してくれることが分かってきた。

本心を言えば、今でもそれらの言葉を信じきれない気持ちがどこかにある。もしかしたら本当に「あなたはコミュ障だね」と言う子と繋がりがあった時はコミュニケーション能力が乏しく、バイトをし始めた頃から成長しただけで、客観的な評価は何も間違っていなかったのかもしれない。
それでも、花に水を与えるように、愛のある言葉が私の何かを開かせて、変えてくれたような気がしてならない。

長年刷り込まれてきた思い込みという名の呪いは、刷り込まれてきた分と同じ位時間をかけて優しい言葉をかけないと、きっと気づくことも出来ない。
私はきっと、恵まれている。