恋愛経験の乏しい私が物珍しいのだろうと、わかっていたけれど

大学2年の春、背伸びをして入ったバーで、カウンターの中の人を好きになった。一目惚れだった。
幸運にも彼から声をかけてもらい、お付き合いが始まった。

8つ上で、時に笑顔が子どもっぽくて素敵で、一緒にいるだけで心臓がぎゅっと掴まれるような感触で胸がいっぱいになった。
ほぼ休みがなく、会えるのは深夜や真昼間だけだったけれど、時間をつくってはバイクでいろんなところへ連れて行ってくれる、かっこいい大人だった。
知らない夜の遊びも、片耳に光るピアスも、彼目当ての派手なお客さんたちも、何もかもが新鮮でドキドキした。

女子大生に手を出す大人はろくなものじゃない。ましてや夜職の男なんて。
そんな一般論も分かっていたし、恋愛経験の乏しい私は派手な人間関係の中にいる彼にとって物珍しく、相手として面白いのだろうということも理解していたけれど、それでも構わないくらい、私は彼のことが大好きだった。

いつも私の右側にいた彼。私の「耳」のことを覚えていた

彼は、気付くといつでも私の右側にいた。車道の右側でもカウンター席でも、エレベーターや並んでくつろぐ自宅のソファでさえも、絶対に私の右側に移動するのだ。
あまりにどこでも、どんなに酔っていても私の右側に来るので、「どうしていつも右側にいるの?」とつい聞いた時、彼は「右側のほうが、あなたがラクかなと思って…耳が…」と少し困ったように答えた。

そう、私は左耳があまり聞こえない。でも少しなら聞こえる上、聞こえにくくても我慢してしまうので相手に気づかれることがほぼない。そのためか、打ち明けても基本的に皆すぐに忘れてしまう。
長い付き合いの友人でさえそうなので、自分から左側に移ったり、あきらめて何度も聞き返したりしてきたのだ。それが普通だった。

「なんで、最初にちょっと話しただけなのに」
びっくりして聞くと、「そりゃ、覚えてるよ」と彼は笑った。
そのときは深夜の居酒屋帰りで雨が降っていて、少し寒かった。もう何年も前のことなのにはっきり思い出せるのは、それだけその言葉や行動が嬉しかったからだと思う。

彼といるのは楽しかった。いつだって彼は優しくて、たくさんのことを教えてくれた。ただ、教えてくれたのは楽しさばかりではなかった。

彼に別れを伝えた時、彼が感じている痛みが不思議とわかった

「あなたより前から付き合っている人がいる」
告げられたのは急で、思考が一瞬止まった。その後に続いた、「でもあなたも好きで、大事にしたいから、隠すのはフェアではないと思った」に、怒りが沸いた。
何時間も、何日もかけて話をした。彼女も好き、私も好き、その主張がたとえ本当だとしても、彼女と私の同意を得ていないと、それは彼のわがままだと思った。
その話の後も彼は変わらずとても優しくて、私も彼を好きなままだった。

女子大生に手を出す大人はろくなものじゃない。ましてや夜職の男なんて。そんな言葉では打ち消せないほど、私が彼から貰ったものは大きかった。
彼を失ったら、私をここまで大事にしてくれる人はいなくなる。本当に?これが愛じゃなくても構わない。本当に?本当に、これは優しさ?大事にされている?
「私だけが好きでも構わない」と思っても、増えていく辛い時間の中で、徐々に私の考えは変化していった。

「終わりにしよう」
伝えたとき、彼は一瞬息を止め、それから目を閉じて頭を垂れた。
そのとき急に、ああ、この人はちゃんと私のことが好きなんだなと思った。不思議なくらい、彼の感じている痛みが染みたからだ。

お別れすることが、「私が私を大事にする」ことなのだと思えた

お別れしても、思ったより落ち込むことはなかった。
彼がくれた優しさが、待ち合わせの度に手渡された紅茶や、朝から並んで買ってくれたチョコや、食事をあまりとらない私にこまめに届けてくれた美味しいもの、なによりいつも右側にあった温かさが、私にとって自分自身を尊いものに思わせてくれたからだ。
彼にとっての「大事にする」が「嘘をつかない」ことで、私にとっての「大事にする」は「ただひとりを特別に愛する」ことだった。

これは価値観が違うだけで、別に彼が身勝手なわけでも、私が重いわけでもないと思った。だからこそ擦り合わせられないなら、お別れすること自体が「私が私を大事にする」ことなのだと思えたのだ。

彼が私を大事にしてくれていなかったら、愛を教えてくれなかったら。
私は私自身を大事にする方法も分からないままだったと思う。
してもらうことばかり考えて、誰かを大事にすることもできないままだったと思う。

彼が私を変えたこと。
それは、愛を自分に渡せるようになったことだ。