高校生の頃、朝の通学列車で痴漢にあいました。
振り返った時の顔は、今でも忘れられない。みるみるうちに顔面蒼白になっていく、どこにでもいそうな、誰かのお父さんみたいな顔をしたおじさん。
あまりにも恐怖が顔全体にベタッと張り付いたような顔をしているので、なぜだか怒っていたはずの私もものすごく怖くなったのを思い出します。
何事もなかったかのように次の駅で降りて、歩き出した時、触られた箇所にものすごく違和感を覚えました。
まるでその体の一部にだけ、ずっと手を添えられているかのような、感覚。
しかもその手は私にちっとも親しみのない、生ぬるくてかさついた、ゾッとするような手、なのです。
その感覚は大人になった今でもたまに思い出すことがあるくらい、私には忘れられない嫌悪の象徴です。
痴漢の被害を打ち明けた母からの思いがけない言葉
当時思春期真っ只中だった私は、迷いながらも、そのショッキングな体験を自分の胸の内にとどめておくことが出来ず、母に打ち明けました。
母から放たれた言葉は一言。
「そんな格好してるからだよ」
え?そんな格好って、何?そもそも私のせい?
朝の通学電車に、制服を着て乗っていただけの私の何が原因だったのか、全く分かりませんでした。
母曰く、私がそんな女の子らしい髪型をして、ピンクのバッグを身につけて、いかにも「何をされても怒らないような女の子らしい女の子」だったから、ターゲットになったと言うのです。
「身に着けるものを改めなさい、しっかりした女でありなさい。じゃないとなめられる」と母は言いました。
私が、ピンクを身に着けるような人間じゃなければ、痴漢されなかったというのでしょうか。
水色や黒のバッグを持っていたら、痴漢されなかったの?男性に不当にバカにされなかったの?
自分の身を守るためにピンクを諦める女性は多いと思います。
または、ピンクを似合わないと誰かに言われて、自分の中のピンクを封印してしまう女性、男性、LGBTQ+。
自分の中のピンクを批判されるのが怖くて、封印している女性、男性、LGBTQ+。
ピンクを身に着けること、ピンクを好むことは、個性であり、趣味嗜好であり、好みであり、自己表現です。
私はピンクを身につけ続ける。私はもう黙ってはいない
なぜピンクだけが、人からバカにされたり、人に何をされても怒らないような人物に見える、と思われるのでしょうか。
答えは明白、「ピンク=女性らしい」というイメージが出来上がっているからです。
つまり女性はバカにしてもいい、下に見てもいい、と思われていたということです。
この構図を理解した時、私の中で何かがプツンと切れました。
だったらこれからもピンクを身につけてやる。
私は逃げない。
それから変わらず何度も痴漢を経験しました。
でも、ショックで何も反応できず、何事もなかったかのように下車したあの日とはもう違う。
「やめてください」と必ず意思表示するようになりました。
それがどんなに緊張を伴うものでも。
おじさん達の反応が、咳払いですますとか、無視とか、自分の期待した反応じゃなかったとしても。
私が黙って痴漢に耐えていても、「やめてください」と声をかけようとも、謝ってくれる人は誰もいなかったし、痴漢が減るわけでもなく、意味が無いように思えたこともありました。
でも、誰かに下に見られることを恐れて、自分の好きな色を諦めるのは違う。
絶対に、ピンクを諦めたくない、私の好きなものを好きだと堂々と言える私でいたい。
その一心で、今日も私はピンクを身につけています。
そしてピンクを身に着ける女性を下に見る風潮が残っている世界で、晴れやかな表情で堂々と、誇らしげに、ピンクを身に着ける女性が一人でも増えてほしい、と願うのです。