色のない世界に生きていた私。黒の服は、なぜかとても心地が良かった

2021年の春、桜の花びらが舞い散る季節に、喪に服すために黒い服だけを着るようになった。夢に破れて打ちひしがれた私自身と、訣別するために。

私のクローゼットの中身は、もともとは色の統一性はなかったけれど、瞬く間に黒い色の洋服が増えていった。
当時、色のない世界に生きていた私にとって、黒の服を着ているのは、なぜかとても心地が良かった。全身真っ黒の洋服を着て、髪の毛の色をオレンジ色にした。その後は、父親に禁止されていたけれど勝手にピアスを開けた。
どんどん容姿が魔女のようになっていくのに、どことなく快感さえ覚えるようになった。そしてごく自然な流れで、モード系の服装に変化していった。

黒の洋服で、世界で一人だけの特別な自分になれる気がしていた

コム・デ・ギャルソンとワイズ。日本のモードを牽引する2つのファッションブランドである。この両ブランドは1981年の同時期にパリコレクションでデビューし、「黒の衝撃」を巻き起こす。1980年代には日本の若者の間で全身が真っ黒な服装が流行し、「カラス族」とも呼ばれていたそう。
ワイズの創設者でデザイナーの山本耀司は著書『服を作る ーモードを超えて(中央公論新社)』の中で、「当時、僕の服などを着た女性は『自立した女』とも言われていたようで、男性が気軽に声をかけられない雰囲気もあったらしい。『ヨウジやコム・デ・ギャルソンの服を消えている女はもてない』などということも耳にしたことがあります」(P73)と残していた。

愛してやまないコム・デ・ギャルソンの黒の洋服を身につけたとき、私は世界で一人だけの特別な自分になれる気がしていた。そこからまたファッションというものに、意識を巡らせるようになった。大学1回生の時の「おしゃれ番長」と呼ばれていた私が、復活したようだった。
黒、と言っても一概に一色ではない。青みがかかった黒や、茶色み、緑み、そして墨のような黒。そして形や取り合わせ方で、同じワンピースを着ていたとしても、全く異なる雰囲気に変化する。
また色物のスカーフを巻いたり、カバンや靴、アクセサリーなどでアクセントをつけると、色んな私を表現することができる。

吹っ切れ、全身真っ黒な服を着た私。自分らしくて好きだと思った

ファッションとは、ジェンダーや肌の色、体型、年齢など全て関係なく、最も簡単に自己を表現することのできる、最も身近な芸術である。現代の日本では、残念ながら不況が長く続いているし、ファッションの主流が「いかにファストファッションを高見えさせるか」、というようなことに重きを置かれているように感じられる。
だからなのか、最も簡単に自己表現ができる最も身近なものであるのにも関わらず、多くの人が無難に流行に従っていて、まるでそれは個性を押し殺しているようにも感じられる。

2022年の春、私は1年間の喪中生活を経て、いろんなことが吹っ切れていた。
桜が舞い上がり、真っ青な空に桃色の雨を降らせている。その空の下、全身真っ黒な服を着た私は、とても自分らしくて好きだと思った。

この1年で、ようやく整理がついたのだろう。生まれ変わったような感覚と共に、本来の自分を取り戻したようでもあった。そして、これから私を待ち受けている長い人生の中で、どんな風に変化していくのだろうか、と期待さえ覚えている。

実は、コム・デ・ギャルソンにはいくつものラインが存在していて、私が普段着ている黒い服は「コムコム」と称されるラインなのだが、色鮮やかな「コム・デ・ギャルソン ガール」やコレクションライン、その他にも色鮮やかで個性的な洋服が、店頭にはたくさん並んでいる。

今はまだ黒の服を着ることに夢中になっているけれど、これから先のことはまだわからない。もしかすると、いつか全身ピンク時代が到来するのかもしれない。
ファッションは、きっともっと自由でいい。それがモテる服なのかどうかなんて、興味はない。わかる人にわかれば、それで十分。何色の服を着るか、なんて私の勝手だ。