年齢や地位が優っているというだけで、差別してもいいということには決してならない。
しかし、日々の生活を送る中で “女性” という立場である私が、 “男性” が発する何気ない発言(と発言者は思ってはいるが、そうではない)の中に潜む差別的発言やあからさまな差別発言に、何度も苦しめられてきました。そして、残念なことにこれから先も遭遇するのでしょう。

父が洗濯物を畳めと兄には言わず、私だけ怒った理由は「女だから」

私の記憶上、ジェンダー差別を初めて経験したのは小学校4年生の時。
両親は共働きで、3歳上の兄が一人。
夏休みなどの長期休暇になると、私はいつしか洗濯物を畳む係になっていました。
そんなある日、帰宅した父がベランダに干された洗濯物を見て、早く取り込んで畳めと言いました。
私は、率直に、「なぜ普段から洗濯物を一切畳まない兄には何も言わないで、洗濯物を畳み忘れた私に怒るの?」と聞きました。
すると父は、「お前は、女だから。今のうちから練習しておかないと、お嫁に行った時に家事ができない」と。
私は、至極当然のような顔でそう発言した、家事を全くしない、短気な父があまりにも大きく恐ろしい存在に見えて、一言も言い返せませんでした。
それから、父が家庭で母や私たち “女性” に対する軽視的発言に怒りが湧くものの、年齢的・体格的・経済的に下である私は、父の男性優位思考に疑問を抱くことしかできませんでした。

次に経験したのは、中学での部活動。
女子生徒・運動部のキャプテンだった私は、男性教師・スパルタ顧問に日々パワハラを受けていました。
「お前に、そのユニフォームは似合わない」「お前は、顔がデカイ」「お前のことは、いつでも飛び蹴りできる」などと。
でも、この時の私は相手が怒らぬよう気分を害さぬよう黙っていることしか知らず、むしろ気に入らなければと「顔がデカイ方がどこにいても目立って、キャプテンとしては優秀ですよね〜!」と笑いに変えるよう努めていました。なんとも、アホらしい。教育委員会に訴えてやればよかった。

「たかが生理痛」と罵る店長。アルバイト先に行くことは二度とない

ついこの前に経験したのは、アルバイト先。
朝、目が覚めるとひどい生理痛でした。ただ、いつも薬を飲めばそれなりに良くなるので、その日もきっと大丈夫だろうと思っていました。
しかし、家を出て電車に乗ると、電車の揺れで気分が悪くなり吐き気を催しました。駅のホームでしばらく動けないほどの吐き気や頭痛を感じた私は、休日の忙しい居酒屋で7時間立ち仕事をするのは無理だと感じ、アルバイト先に電話しました。
私は、体調が悪いと伝えればご時世的にコロナではないのかと勘違いされては困ると思い、正直に、(そもそも生理は隠さなければいけないものではないのですが)生理痛があまりにもひどいので急で申し訳ないが休ませて欲しいと伝えました。
すると、中年の男である店長は、
「突然、休みたいと言われても困る。せめて、前日に伝えておくべき」(生理は予測不可能なんですけど?)
「俺の嫁は、生理の時、腰や頭が痛いと言いながらも働いていた」(人によって痛みは全く違うんですけど?生理のない男がなぜ働けるかどうかを判断できる?)
「薬飲むなりして、なんとしてでも来い」(薬飲んでもしんどいから、電話してるんですけど?)
「そんなこと、社会に出たら通用しない」(お前のその考えの方が社会で通用しないんですけど?)
等々、怒りをあらわにして、間髪を入れずに、まるで “たかが生理痛” とでも言うような口調で数分間、電話の向こうにいる私を罵ったのです。

でも、その時私は何も言い返すことができませんでした。むしろ、「わかりました」の一言しか言えませんでした。
電話を切った後、何も言い返せなかったことへの後悔、店長に対する恐怖や憎悪、嫌悪感などの感情が一気に溢れ出し、しばらく涙が止まりませんでした。
もちろん、私はそのまま家に帰り、そのアルバイト先に行くことは二度とありませんでした。

同じように、差別的発言に黙ってしまったことがある人に伝えたい

幼い頃から、“男性”に対する恐怖心のようなものを感じてきて、何か言い返せば手を出されるのではないか、そんな不安がいつも私を邪魔して、気がつけば黙っていることが習慣づいていました。
何度このような経験をしても、その場で即座に何も言い返せない自分に腹が立ちます。
だからこそ、こんな思いをする女性を一人でも減らしたい。
ジェンダー差別のみならず、何か差別的発言をされたことがある人に、これから先こんなことに出会ってしまった時その人に、私は伝えたいです。

あなたはひどいことを言われたのだから、言い返したって間違いじゃないし、たとえ言い返せなくても何も悪くない。
ただ、そこで苦笑いをしたり、笑いに変えてしまおうなんてことは、決してしてはならない。
何も言い返せなくとも、まずいことを言ってしまったなと思わせる雰囲気だけでも作れれば大したものです。
あとは、その経験を周りにも何がどうイヤだったのかを性別に関わらず伝えれば、もっといいと思います。
なぜなら、被害者でも加害者でもない人のほとんどは差別問題にそもそも関心がないからです。
こんな世の中を変えたいと思うならば、その問題に関心を向ける人の数をマジョリティーにしなければいけません。

でも、これって本当に辛いですよね。
嫌な思いをした人が動かなければ何も変わらない世の中も、動いたとしてもなかなか変わらない世の中も、全て。

差別をなくすというのは、今の現状になんの不満もないマジョリティーが不満だと捉えられることを受け止め、みんなが同じくらいの不満を抱えるということなのではないかと思います。
私も、あなたも、あなたの周りの人も、どこかのマジョリティーに属して問題から目を逸らしていませんか?
逸らし続けた先に残るものは、そんな自分の行いへの後悔です。