パステルピンクに白と紫、濃いピンクの水玉模様のバッグ。水玉がまだらな生地だから、同じものが世界にない一点もののショルダーバッグ。
アウトレットに寄ってウィンドウショッピングをしていた時に、たまたま出会って、一目惚れして、数万円をポンと出してしまったケイトスペードのショルダーバッグ。

それを私の彼氏は「子供っぽくてあんまり好きじゃない」と一蹴した。彼と出会う前からそばにある、私が生きてきた中で5本の指に入るお気に入りのバックにもかかわらず、だ。

「みんなとは違うんだ」と言いたくて、ピンクが嫌いになった

私は幼稚園の頃、ピンクが大嫌いだった。
筆箱、鉛筆、運動靴、持ち物はぜんぶパステルの水色。周りの友達は、ピンク、ピンク、ピンク。みーんなピンクが好きだった。ぼんやりと覚えているのは、「私はみんなとはちがうんだ」という気持ちで、パステルカラーの水色が好きだと言っていたこと。
結果的には女の子の色のステレオタイプからは外れているから、なんとなく今の流れに沿っているような感じもする。でも、なんだか違和感が残るのはなぜだろうか。

考えていると、私が小学4年生くらいの時、フルートを習い始めたことを思い出した。
漠然と「かっこいいな」と思ったからだ。結果、練習は楽しくなかったし、そこまで上達しなかった。
これも幼稚園の頃のピンク嫌いとよく似ている。つまり私は「みんなと違う自分が好き」なだけで、パステルの水色やフルートが好きなわけではない。
私がパステルの水色が好きだと言った理由は、ピンクが好きな子と同じ、「“みんな”がピンクは女の子の色だと言うから」というロジックで、つまり“好き”に“他人の目”が介在している。

性別を問わない“ジェンダーインクルーシブ”という概念

それから20年ほど経った今の世の中では、子ども用のおもちゃやランドセルなどにも、特定の色が特定の性別のものであると刷り込まないように配慮されたものが増えている。
いわゆる“ジェンダーニュートラル”だ。でもこれもなんだか、 「女の子は赤やピンクなどの暖色系」「男の子は黒や青など寒色系」ということを意識した上で、そうならないようにしているような印象を受ける。それはそれで、何かが違う気がする。
さらに最近では“ジェンダーニュートラル”のさらに先の概念として、“ジェンダーインクルーシブ”というものがあるらしい。
ジェンダーニュートラルが男女の性差のいずれにも偏らないで中立であることなのに対し、ジェンダーインクルーシブは、そもそも性別を問わないことだそうだ。
男女の性差に中立であるためには、逆に性差をはっきりと意識する必要があるのではないか。逆説的だが、これが違和感の正体だ。
これに当てはめると、幼稚園の頃の私は思いっきり、ジェンダーニュートラルだ。はっきりと周りの女の子達がピンクまみれになっていることを意識した上で嫌い、“ザ・女の子の色”ではないピンクを好きになっている。それは本当の好きなのかと言われるとものすごく疑問だ。
その点、ジェンダー的な色への意味付けを意識しないジェンダーインクルーシブは、より良い考え方のように私は思う。

みんなが本当の好きを見つけ、育てていける。そんな世界を願う

少し複雑な話になってしまっているが、ジェンダーに加え、LGBTQ+などにまつわる問題の本質は、「自分の、そして、誰かの好きなものを否定することはあってはならない」ということで、世界はそういう方向に進もうとしてるんじゃないかと思う。
それは、他人の目と、他人の目を気にしている自分の目を気にしない、自分の“本当の好き”に辿り着き、そして見つけた“好き”を大切に育てていけることの重要さに気づき始めているということではないかと思う。そういう世界にどんどんなっていってほしい。

さらに言うと、私はパステルの水色を身に付けたり、フルートを吹いていたりしたとき、特に良い気分にはならなかった。“みんなと違う自分”という意味付けが好きだっただけだったのだ。これは全然自分をしあわせな気分にはしてくれない。

そんなことに気づかせてくれたのが、冒頭のピンク色のバックだ。
あのバックを見ているだけで嬉しい気分になるし、身に付けていると自信が湧いてくる。「“好き”というのは、意味付けではなく、気分だ」ということを私に気づかせてくれたのだ。

自分の“好き”と世の中との折り合いをつけていくことも重要

誰になんと言われようと、私はあのバックが大好きなので、私はバックを持ち続けている。そんなある日、「いいね、そのバック。その服との組み合わせだと」と彼が言った。
私は気づいた。私たちは大人なので、いくら裸でいるのが好きだからってそのまま外に出てはいけないし、いくら女性用のトイレが混んでいたからって、男性用に入るのは良くない。
矛盾するかもしれないけれど、自分の“好き”と世の中との折り合いをつけていくことは、それなりに重要だ。なんでも自由、というわけにはいかない。
だから、世の中がいろんな人の“好き”に寄り添って変わっていくこともものすごく重要だけれど、一方で、ピンクのバックと服の組み合わせのように、自分の“好き”が世の中にも受け入れられるようにする努力も忘れてはいけない。

あのバックは、自分にとっての“本当の好き”を教えてくれ、自分の“好き”を守るための工夫もまた大人としてはあった方がいいのだと気づかせてくれた、そういう私の成長の証だ。
私も、大人の一員、この世界の一員として、大人でもピンクを堂々と好きと言える世界を作りたいし、同時にピンクの似合う大人になりたい。