コロナ禍、一人暮らし。人との関係が疎遠になり、小さな部屋の中で自分の存在そのものが薄くなっていくようだった。
毎日当たり前のように会話していた職場の人々や、気楽に誘えた友人たちその全てが瞬く間に消えてしまった時から、私はずっと自分に確信が持てなかった。華やかなSNSや空想の完ぺきな自分ばかりが大きくなってしまい、いまここにいる私に良い所なんて一つも見つけられなかった。

感情に向き合う事が辛くて、逃げ出したくて、後先考えずに行動した

私の好きな物は、その好きで繋がっている友人も含めての物で、メイクもおしゃれも見てくれる誰かがいてこその頑張りがいだった。
だから、私の全部の大半が形を失くして、完ぺきにはほど遠い自分にばかり目が行って、まったくダメな私に囚われていた。

そんな風に自分の存在を疑っていたある時、いろんな事が限界になった。
何が辛いのかとか、どうしたらいいのかとか、そんな風に簡単には言葉に出来ない感情が手に負えなくなった私は、とにかく逃げ出したくて、後先を考えずに必死で行動した。
引っ込み思案の私が後先を考えずにそんな事をするのは人生で初めてだったし、そんな風に逃げる事しかできない私がなによりも惨めだった。

退職する前に相談した職場では、改善できる事はないかとか、少し休んでみてはと提案もされた。でも本当は、その全ての前提になるであろう私の感情に向き合う事が、私には一番辛かった。
ダメな私ではいけない。それは、私が私に課した条件だった。それなのに、隣の人には出来て、私には出来ない理由を探す事は私には辛すぎた。だから、当たり障りのない適当な理由を付けて、静かに逃げ出した。

理由を聞くでもなく、変わらずに受け入れてくれた家族や友人

家族や友人に仕事を辞めた事を伝える時、私はまた、私が言葉に出来なかったあの感情を聞かれると思っていた。言葉に出来たら、きっとこんな事にはならなかったはずの感情を。そして、どうしてそうなってしまったのかと幻滅されると思っていた。
でも、誰もがただ静かに受け入れてくれた。

私の中で、退職するというのは、そしてその次の仕事が決まっていないという事は、最低の事だった。友人がそうなったなら、何か理由があったのだろうと受け入れる事が出来る。でも、私自身がそうなった時、私は受け入れられなかった。
それでも、誰もが昨日と変わらずにいてくれた。腫物扱いする訳でもなく、理由を聞くでもなく、以前と同じように、食事をしてテレビを見て遊びに行って、そんな当たり前の普通の日々だった。
大きな何かを失くしたのに、変わらない日々がそこにはあった。私が、決めたその決断にそれだけの理由があったのだと信じてくれた。

変化があっても、「私」を見てくれたことに救われた

そんな風に、常識や目に見える立場ではなくて、まっさらな私を見てくれる。間違っているような決断でもその決断をした理由を信じてくれる。その行動に、名前を付けるのは難しいけど、愛という何かの一つの形だと思う。
私という人間の性格や感性を見てくれて、たとえ表面的な変化があっても変わらない日々をくれる事。たったそれだけの事だけれども、私はその日々にすごく救われた。
自分の身に起こってみないと、その本当の苦しさは分からない。同じように、愛と呼べる何かの存在も実感してみないと分からなかった。
それまで当たり前だと思って過ごしていた、愛に溢れた日々は、常識やこうあるべきという条件から私を少しだけ自由にしてくれた。そして、変わらずに受け入れてくれたたくさんの愛は、私に常識のレールから離れても私は大丈夫だと強さをくれた。