私の通っていた高校には当時クラス替えがなく、3年間同じ担任の先生、同じメンバーで過ごした。
先生の担当は国語で、ゆったりしていて、のそのそ歩く、手がまんまるで可愛いおじさんの先生だった。ゆったりと音読をするので、大体の人は聞いているうちに夢の中に連れて行かれた。

私たちはその先生がいつもちょうどいい距離感で接してくれたおかげか、3年かけて誰とでも仲良く助け合えるとても良いクラスになった。誰が誰と話していても違和感がないし、行事の時はしっかり団結できた。
40人の大所帯で打ち上げに行けば、普通は面倒で大変だろうに、店員さんに「良いクラスですね」なんて言われたりもした。それも、優しく見守ってくれた先生のおかげだと思う。

最初で最後の学級通信。そこに書かれていた先生からの言葉

卒業する年度の9月、先生は「最初で最後の学級通信」を書いてくれた。
文化祭の月だった。私たちはクラスでミュージカルをやることになり、準備や練習に忙しい毎日を過ごしていた。
その学級通信は、半分はカレンダーで、文化祭までの予定や、短縮授業かなど、なんでもない事が書いてあった。もう半分は先生の言葉。そこでの言葉が今でも忘れられなくて、大好きだ。だから少し色褪せたその紙を、社会人になって3回引っ越した今でも捨てられずに、大事に残しておいている。

「どんなに一緒にいても、言い足りないことがあった。どんなに頑張っても、忘れることがあった。その見逃していたもの、気づかなかったものが、実は毎日積み重なり、自分と周囲との間にどうしようもないずれを生じさせる。それが時の流れ。そして、人生は、何年かに一度の“うるう年”のようなものを必要とさせる」

あの当時、「先生たまには国語の先生っぽいこと書くな」くらいに思っていたが、今ならわかる。これが、高校3年の私たちにだけ向けて贈られた言葉ではないということ。
何年かぶりに読んで、思わず涙が溢れてしまった。

少しずつ、自分が愛せる自分になる為に進んでいる

いつでも物事の辻褄が合うとは限らない。思ったように上手く行くことも多くない。まだ人生の途中だけど、小さなことから大きなことまで、色々とあった。

好きな人への想いが届かなかったこと。
心を許せると思っていた友達が、いつしか離れていってしまったこと。
憧れの仕事に就けたのに、心も身体もボロボロになってしまったこと。
自分が有能だと勘違いして、人に感謝することを忘れてしまっていたこと。
長い時間をかけて築いた関係が、あっさり終わってしまったこと。
思ったことを伝えるのを怖がり、大事な人に向き合うことから逃げていたこと。

でも、私はその一瞬一瞬を懸命に生きることしかできない。先生は「ずれ」が起こることを悪いとは言っていないし、どんなに気をつけていたって起こることだと肯定していると感じた。
そしていつしか、時々訪れる「うるう年」を受け入れることができるようになってきた。時にはその度に少しずつ軌道を修正しながら。

まだまだ私は立派な人間にはなれていない。それでも少しずつ、自分が愛せる自分になる為に進んで行けていると思いたい。
先生、そういうことを言いたいんじゃないんだけどな、と思っていたら、ごめんなさい。