20年前の担任の先生の言葉に、今の自分がちょっぴり救われたお話をしたい。

社会人になってからというもの、私の自意識は絶賛暴走中であり、とにかく周りの評価が気になる。
本当はめちゃくちゃ自由気ままで、学生の時から「感性が独特だよね」と言われてきたわたしだが、新入社員の時からめちゃくちゃ気をはって走り続けてきたおかげで、ありがたいことに周りからは多少なりとも「しっかりしてる」「仕事できる」という評価をいただいている。

しかし、一旦そういうイメージみたいなものができてしまったが最後、それを壊してしまうことがとても怖くなり、失敗することや周りの期待を裏切ってしまうことを自分に許せなくなった。定められた業務を、いかに正統派なやり方で卒なくこなすかが最大関心事だ。

そうなると、必然的に新しいことにチャレンジすることに対してもネガティヴになり、仕事をするうえで「こういうことやってみたら面白いかも!」とアイディアが浮かんでも(しかもそのアイディアがまた突拍子もないようなものだったりする)、「やってみて失敗したらどうしよう」「誰かに変だと思われたらどうしよう」という声にかき消され、身動きがとれなくなる。そしてそんな自分にうんざりし、仕事のモチベーションも下がるという負のスパイラルにはまり込む始末。なんてこった。

ふと手に取った学級通信に見つけた、先生からのメッセージ

先日、久々に実家に帰省したら、自分の部屋のクローゼットの奥に段ボール箱を発見した。中を覗いてみると、学生時代の通信簿やら卒業アルバムやら、思い出の品々がまとめられていた。どうやら母が整理して収納しておいてくれたらしい。わぁ、懐かしいなぁ、と思いながら中身を引っ張り出してみると、1冊のファイルが入っていた。ぱらぱらめくっていると、小学2年生の時の学級通信に目が留まった。

2年生の時の担任の先生は、忙しい中、毎日学級通信を発行してくれていたのだが、その内容がまた素晴らしかった。先生は人のいいところを見つける天才で、毎日、その日に起きた出来事に絡めながら、クラスのみんなの良いところをほめていた。

私がフィーチャーされている号には、母がしっかりと付箋をはってくれていたので少し照れながら読んでみると、どうやらその日の国語の授業で私はだいぶ独創的な(というか、一歩間違えると的外れな)発言をしたようなのだが、そのことについて先生が「おかげでクラスのみんなが新しい視点を得ることができて、非常に実りのある授業へと変えてくれました。ありがとう」と書いてくれていた。

そして、「豊かな感性は〇〇さんの宝物です。誰にもまねはできません。今のところ、少々考えすぎる様子が見られるので、失敗や友達との衝突を恐れず、自分らしく行動するたくましさを身につけてほしいと思います」とも。

20年前に投げかけてくれた優しい言葉が私に勇気をくれた

なぁんだ、20年前からまったく変わってないじゃん、自分。そう思って笑って、そして少し涙が出た。20年前のわたしは、それでも授業中に手を挙げて、自分らしく立ち向かっていくことができたのだ。

そして、それを誰かがちゃんと見てくれていて、あなたのその感性は宝物なのですよ、と言ってくれたのだ。
なんだかすごく励まされ、そうだよね、失敗したっていいじゃん、わたしはわたしらしく!たくましくいこうぜ、と思えた。

当時の担任の先生が、今どこで何をしているかは全くわからない。それでも、先生が20年前に投げかけてくれた優しい言葉は、すごく必要なタイミングでわたしの前に現れて、確かに勇気をくれた。

時を超えて誰かに届く。改めて、言葉のちからは偉大だと思った。