私が中学から高校に上ったときに捨てたものが一つある。それは中学3年間をすべて捧げたと言っても過言ではない「吹奏楽」だ。
私は3年間愛した吹奏楽を捨てた。
中学2年で祖父が死んだとき、初めて忌引で学校を休み、部活を休んだ。なぜかその休みをきっかけに、クラスで仲の良かった友人から距離を取られるようになった。
部活にしか興味のない私に、もう飽き飽きしていたんだとか。そんなことを知るのはだいぶ先の話なのだが……。
仲間と演奏できた思い出だけで十分。吹奏楽に打ち込んだ3年間
吹奏楽部では「1日休めば3日分の腕が落ちる」と言われていたから、必死に追いつこうと頑張った。夏のコンクールが近く、友達が話しかけてくれなくなったことなんて私にはどうでもよかったし、むしろ無駄な時間が減って好都合とも思った。
私が友好関係を平気でぶった切れるようになったのは、この頃からだと思う。そして捨てることが悪いことではない、と気づいたのもこの頃だろう。
授業中や休憩時間、友達にどんな風に見られているかソワソワしながら過ごさなくていいことに、気楽さを感じた。休み時間も楽譜を読み込んだし、運指の練習をした。そんな風に必死に吹奏楽に打ち込んだ。
いわゆる「弱小チーム」だった私たちは、3年間で優秀な成績を残すこともなく終わったが、仲間たちと演奏できた思い出だけで十分だった。しかし、部活を引退した私に残ったのは、劣りきった学力と厳しい進路面談だけだった。
部活ばっかりしてきた私に高校受験に十分な学力なんてあるわけがなく、そこからの勉強は苦しい日々だった。
選択肢の少ない進路先で、私はあえて「吹奏楽部がない」かつ「友人のいない」高校を選んだ。中学で得られなかったものを高校で得ようと思った。
周りと同じようにキャンパスライフに憧れたけど、現実は安定志向
私の高校生活は充実していた。成績もたぶん優秀な方だったし、クラスメイトの誰とでも仲良くなれた。
やりたいことも積極的にやった。文化祭では舞台で歌い、演劇の脚本を書いた。
進路の話になると、だいたい周りは入れる大学に進学すると言う。みんなが憧れるキャンパスライフに、同じように私も憧れていた。
これといってなりたい職業は決まっていなかった。というよりも、やりたいことがありすぎるのが問題だった。しかし、そんな中でまだ、音楽に携わりたいと、どこかで思っていた。
しかし、中学卒業と共に母子家庭になった私には「大学に行きたい」なんて言う勇気はなくて、与えられた選択肢は就職か看護学校への進学。
看護学校は学費が安かったし、なにより病院の奨学金が借りられる上に、資格を持っていれば安定。特に、母子家庭になってからバイト漬けの高校生活を送っていた私にとって「安定」の2文字は輝かしいものだった。
輝かしかった「安定」は、手に入れたら足枷のように重くなった
そして今、私は看護師だ。
しかし、この選択を非常に後悔している。なりたくてなった職業じゃない。やりたくてやっている仕事じゃないものを続けるというのは非常に苦しいんだと、4年経って気づいた。
この4年間、どこかで看護師である自分を好きになれると期待していた。しかし、4年経ってもまだ看護の仕事を、看護師である自分を好きになれない。
好きになるために研修への参加や資格の取得もした。積極的に委員の仕事にも取り組んだ。それでも、ふと「自分はなぜ看護師なんだろう」と思う。
好きでもない仕事で残業をし、休日にも職場に出向き研修や勉強会。心身共に疲れ、休日のほとんどをベッドの上で過ごす。
確かに他の同級生よりは良い給料をもらっているし、病院の福利厚生も充実している。夢にまでみた「安定」を手にしている。
あんなに輝かしかった「安定」は、今の私にとって足枷のように重たい。
「安定」のために「やりたい」を捨ててしまった。
そんな後悔を胸に、転職サイトを巡回する日々。
この「安定」を捨てれば、私にはまた、何かに熱中できる日々が待っているのではないだろうか、と憂鬱な日々のなかで、看護ではない仕事する自分の姿を想像してはまた「安定」の二文字が邪魔をする。そうして私はまた「看護」の二文字を検索ワードの最後に入れてしまう。
この「安定」から離れたいのに、この手はまだそれを手放そうとしてくれない。