幼い頃から物語の世界に没頭するのが大好きな私はファッションや髪型、考え方まで様々な作品から影響を受けてきた。中1のとき「蛇にピアス」を読んで世界観に憧れたり、15歳で「人間失格」に共感したり、「レオン」のマチルダに寄せたファッションで大学に通ったり。「クイーンズ・ギャンビット」にハマった今は、主人公のボブヘアを目指して髪を伸ばしている最中である。
何歳になっても、その時の自分の視点で受け止められるという魅力
こんな私が形作られた大きなきっかけは「ハリーポッター」シリーズとの出会いだった。「ハリーポッターと賢者の石」の1ページ目をめくった小6のときからずっとその魅力に取り憑かれ、昨年の卒業旅行では本場ロンドンにまで足を運んでしまった。映画に出てくる風景を堪能し、スタジオツアーに参加した思い出は一生忘れないだろう。
私が考える「ハリーポッター」シリーズの魅力は、何歳になってもその時の自分の視点で物語を受け止められる点である。全シリーズを読破し何度映画を見返しても、その度に新たな感情が引き出されるのだ。昨年末、金曜ロードショーで「ハリーポッターと秘密の部屋」が放送された。話の流れも結末もわかっているのだが、このとき初めて印象に残ったひとことがきっかけで確かに私の人生が変わった。
ダンブルドアの救いのメッセージを、23歳で初めて感じ取れた
主人公ハリーが壮大な戦いを終え、ダンブルドア校長と話すシーンがある。ここでハリーは、両親を殺した宿敵ヴォルデモートの力の一部が自分に移っていると知らされる。敵と自分の似た部分に気が付き悩むハリーに対し、ダンブルドアは「自分が何者かは能力で決まるのではない。どんな選択をするかじゃ」というような声をかける。学生時代なら綺麗事だと感じたであろうこのシンプルな言葉が持つ救いのメッセージを、23歳になって初めて感じ取ることができた。
今までの私は自分の能力のなかでも、特に学力や学歴をもとにして未来を決めてきた。なぜなら自分が持ついくつかの能力のうち、それらが最も社会から評価されやすかったからだ。幼い頃習っていたピアノや新体操、中学生のとき所属していた演劇部で主役を演じたこと、野球観戦が好きで高校では野球部のマネージャーをやったこと、派手なメイクがしたくてコスメを買い漁った大学時代。ずっと多趣味だったにも関わらず、それら全ては人生の側面でしかなく、学歴を武器に良い会社に入ることが人生の主軸だという一般論をついこの間まで信じ込んでいた。特に、学歴があたかも能力の証明書であるかのように扱われる就活を経験したことで、その考え方が強化されてしまったのかもしれない。
こんな言葉をかける人とは、これ以上一緒に働けないと感じた
ある日の地下鉄。誰かと触れていない部分がないほど込み合った電車の中、私は貧血になり会社の2駅手前で座り込んでしまった。事務所で座らせてもらいながら「休ませてほしい」と直属の上司に電話をかけたところ、なんとか了承を得られたものの「まぁ、気を付けてねとしか言えない…」との冷淡な返答が。仕事に対する考え方はもちろん様々だが、公共の場で立っていられないくらいの貧血になった人にこんな言葉をかける人とは、これ以上一緒に働くことができないと強く強く感じた。それと同時に先述したダンブルドアのひとことをはっきりと思い出し、部下の体調も気遣えない人間に少しでも能力が高く見られようと努力していたことが、急に馬鹿馬鹿しくなってしまった。
この体験を経て人生で最も真剣に自分の「選択」について考えた結果、ネイルスクールに通い資格を取得するという新たな目標ができた。学生時代からお洒落が好きだったのだが、社会人になり美しくキラキラ輝くネイルが、殺伐と生活の中で心を明るく保ってくれるという実感を得たからである。また、技術を身につければどんな場所でも仕事ができる点も気に入っている。LAのサロンとパリのサロンどちらで働くかといったワクワクする選択が将来待っていることを期待しながら、私は自分が選んだ未来を少しずつ創造していく。