ピンクと聞いて思い出すのは、保育園の卒園をする時に貰った人形の事だ。人形は園児本人が色を希望し、希望が重なってしまったらジャンケンで決めるというものだった。
女の子は大体ピンクを選ぶ。全体でみると他よりもピンクは多めに用意されていたのだが、希望者多数であった。
私はピンクが良かった。けれど黄緑の人形を選んだと記憶している。

可愛いものが好きなのに、「選べない」と我慢していた

私は3人姉妹の末っ子で、小さな頃はおさがりばかりだった。
みんなが新品ピカピカのランドセルで通学する中、私は8歳上の姉のおさがりのランドセルで通学していた。体操服も中学の制服もおさがりだった。習字道具や彫刻刀セットは、姉たちの世代の物とは違ってきれいで可愛い物となっていたので、余計に他の子がとても羨ましかった。
たまに新しいものを買ってもらえるときがあっても、姉や親の反応を伺いながら物を選んでいたと思う。それは「私なんか」と思うことが多かったからだ。
可愛い洋服や物が好きなのに、勝手に自分には選べないものと我慢し、似合わないと決めつけて、よく水色やオレンジ・黄色を選んでいた。

そんな子どもの頃の時間を過ごして、きっと私はあまのじゃくな根暗な性格になっていたと思う。素直に喜べなかったり、選べるものでも遠慮したり多くの人がする事を避けていたりした。しばらくの間、洋服や小物でピンクを全く選ぼうとしなかった。

自分を大切にする事が分かってから、周りにピンクが増えた

だが最近、私の周りを見渡してみると、ピンクが増えている。どういう心境の変化なのだろうかと考えてみる。
ライフステージが変化し、実家から出て住む場所も変わった。今の生活の中で、昔の私を知る人と出会う事はほぼない。今の私しか、今のまわりの人は知らないのだ。
まわりよりも劣っているとか比べようがない。今までも比べる必要はなかったのだが、大人になってからも無意識のうちにまわりと比べて自分で苦しくなっていたのだと思う。
自分を大切にする事が分かるようになってから、自分の周りにピンクが増えた。小さな頃、我慢していた気持ちに寄り添えているような気がして、心の中の小さな私が嬉しそうだ。
それと同時に、性格が少し素直になった気がする。あまり焦らなくなったし、何より自分の事が好きになってきた。

今のお気に入りは、ラズベリーピンクの靴下だ。モノトーンや寒色系の洋服が多いので、このピンクの靴下を履くとテンションが上がる。他にも歯ブラシ、アイシャドウ、リップがピンクで、毎日見るたびにちょっと幸せな気分になれる。
他の色よりも、ピンクの持つパワーは大きいと感じている。少し落ち込んだ日や疲れた日、イライラしてしまった日はピンクに癒されている。「また明日頑張ろう」「こんな日もあるよな」「愛されているよ」と感じられる。

ピンクと寄り添い助けてもらっている今、どんな気持ちも我慢してはいけないと今は感じている。それがマイナスな気持ちでも外に発散しなければ、その場では大丈夫でも、どこかで反動が来る。ピンクに限らずいろんな色のパワーも借りながら、自分の事を大切に幸せにしてあげたい。