ずっと捨てられないもの?
劣等感。
わたしの人生には、ずーっと劣等感が付きまとっている。
こすってもこすっても、取れない鍋底の焦げのように。
走っても走っても、足裏から離れない影のように。
わたしにぴたりとくっついて、ずーっと一緒だった。

私を可愛がる親戚たちは、姉にはまるで異なる言葉をかけていた

二人姉妹の妹として生を受けたわたしは、文字通り、「生まれたその瞬間から」比較対象がそばにいた。
顔面が飛びきり可愛らしい姉のそばで、ブスではないが「妹らしいそれなりの可愛らしさ」を持ったわたしは、それなりに可愛がられて育った。

「あらー! 肌が白くてモチモチで、可愛いわねぇ」
「本当、ほっぺもお餅みたいで、食べちゃいたい。おめめもキラキラして。めんこいわぁ」
そんな風にわたしをゆるキャラのように可愛がり愛してくれる親戚たちも、姉に対しては、まるで異なる言葉を掛けていた。

「モデルさんみたいねぇ」
「本当に可愛い。この前テレビに出ていた女優さんに似ているわ、ほら、何て名前だったかしらあの子」
幼いながらもその違いを理解していたわたしは、少しずつ少しずつ、でも確実に、劣等感を抱くようになっていった。
だけど、もしかしたらわたしも姉の年齢になれば、モデルさんや女優さんのようだと褒められるような、美少女になれるのかもしれない、という希望もどこかで抱いていた。

少しずつ貯まっていく「劣等感マイル」を探求心と交換した

その希望を抱きながら少女になったわたしは、知らず知らずのうちに美しいものを追い求めていた。
ただ単に顔だけで友達を選ぶ気はさらさらないが、気がつけば、わたしの周りには可愛くて美人な友人が多くなり、それと同時に、わたしの中で劣等感が育つ機会も増えていった。

アイドルのような可愛いルックスの友人と街を歩けば、すれ違う人々の視線はその子に注がれる。わかってはいるけれど、その視線によってチクチクと、ほんの少しずつ、わたしの劣等感マイルが貯まる。

モデルのようなスタイルの友人がモデル事務所のスカウトマンの話を聞いている隣で、わたしは彼女を誇らしげに見つめつつ、ふと自分の体型を思い出して耳に熱を感じてしまう。 
そうやって、日々ドMのように自ら美しい人に囲まれて、コツコツと劣等感マイルを溜めてきたわたしは、そのマイルを定期的に「探究心」と交換した。

素敵な友人の「探求心」に気づき、歩んでいきたい道が見えた

どうしたらあの子みたいに可愛くなれる?
どうしたら、外見だけじゃなく内面まで美しくなれる?
世の中の多くの女子がやっているように、わたしも自分のアップデートを止めない。

そういえば。
アイドル顔のあの子は、鏡やショーウィンドウに映る自分の姿を常にチェックして熱心に直していたし、異性が近くを通る時には、口角をキュッと上げてここ一番の表情を作っていたっけ。
モデル体型のあの子も、頻繁にジムに通い身体を作っていたし、食事だって他の学生たちに比べるとヘルシーなメニューを選んでいた。
彼女たちは、自分がどう見られたいか、どうしたら理想に近づくことができるかという探究を継続していたのだ。
素敵な友人たちによってもたらされたわたしの探求心が、「彼女たちが探求している」という事実を見出させてくれた。 

大袈裟な事を言うならば。
わたしはこの先もきっと劣等感と共に生きて行く道を選ぶ。
大事な事は。
劣等感だけを抱えたまま死んでいくか、それとも少しでも理想の自分を探求してから死んでいくか。
結局最後は死ぬのなら、貯めたマイルは交換してから死にたい、なーんてことを思うのだ。