なぜ女優になりたいのか悩んでいるとき、「三人姉妹」に出会った
チェーホフの有名な戯曲「三人姉妹」の中盤で、イリーナが泣き崩れるシーンがある。
兄を理想として生きてきて、モスクワ行きを夢見ていた彼女が、兄は理想の人ではなく、モスクワ行きも絶望的だという現実を知って泣き崩れるのだ。
私はこの戯曲のこのシーンを何度も読んで涙を流してきた。演劇を生業とする姉に頼んでボロボロの脚本をもらって読み返し始めたのは、もう5、6年前だろうか。
私は演劇が好きだ。女優になりたくて多くのオーディションを受けたし、演技の仕事がしたくてエキストラや売れないモデルのような仕事もやってきた。
「どうして女優になりたいんですか?」と聞かれたのは1度や2度じゃない。そのたびに、どうして私は女優になりたいんだろうと悩んできた。
初めは人に夢を与えたいとか、映画を観て演技に感動して憧れたからとか、よくある答えを出していた気がする。思えば私が「どうして女優になりたいんですか?」と聞かれて、「演技は涙を流したり怒ったりすることが許される仕事だから、自分のために演技がやりたい」と答えるようになったのは、「三人姉妹」の脚本を読み始めてからだったと思う。
「末っ子だから」は呪いの言葉。泣く自分を受け入れられなくなった
三人姉妹ではなく三人兄弟の末っ子に生まれた私は、小さい頃はよく泣いて、よく怒る子供だった。
小学校3、4年生くらいの時だったと思う、母に「末っ子だからってすぐ泣く」というようなことを言われたのは。それから何度も末っ子だからという言葉を聞かされて、私の中で「末っ子だから」という言葉は呪いの言葉になった。末っ子だからすぐに泣いたり怒ったりすると思われたらいけないと思って、必死で周りの顔色を窺うようになっていった。
家族旅行でしっかり者を演じている私を見て、女将さんに「あなたがお姉ちゃん?」と姉より姉らしく見えたことが誇らしく感じたりした。友人から末っ子らしくないねと言われたら心から嬉しかったし、末っ子っぽいと言われると本気で落ち込んで、自分の立ち振る舞いが悪いのだと自己嫌悪した。
気づいたら人の顔色を窺いすぎて、涙を流す自分を受け入れられない大人になっていた。
女優になりたいと思って頑張っていても、簡単にはうまくいかない。
自分の人生の行き先がわからないと思い始めていた20歳頃、私は「三人姉妹」のイリーナに出会う。姉が私の前で練習すると言って、号泣しながら人生の絶望を訴えているイリーナを演じた。
「三人姉妹」を読むとあふれる涙。イリーナは私の代わりに泣く
きっとチェーホフが描いたイリーナは、私とは遠い存在だろう。人種も育ってきた環境も違うし、そもそも物語の中の人だ。それでもなぜだか運命の出会いのように「イリーナは私だ」と思ったのは覚えている。
「三人姉妹」の舞台期間が終わった姉に、ボロボロの脚本が欲しいと頼んだら、不思議そうな顔をしていた。それから私はどうしようもなく苦しい感情を抱いた時、一人でそっと「三人姉妹」の脚本を読むことにした。
私が私である限りは涙を流すことがあんなに許せなかったのに、イリーナになってイリーナの言葉を借りれば不思議と涙がたくさん出てきた。
幼馴染の親友と喧嘩別れした時も、女優という仕事だけで生きていけないと現実に気づいた日も、イリーナになって私はたくさん泣いた。
あんなに涙を流す自分を拒否してきたのに、泣いているのはイリーナだから自己嫌悪に陥ることもなかった。
今も私の部屋の小さな本棚には、ボロボロになった「三人姉妹」の脚本がある。これから少しずつ泣いている自分を受け入れられるようになるかもしれないし、受け入れていくべきなのかもしれない。
だけど今はまだ私の中のイリーナにはそこにいて欲しい。そしてまた、私の代わりに涙を流してもらおう。