ピンクとの距離感、と聞いてふと似ていると思ったのは、私と故郷と東京の関係性だった。

私は西の生まれである。今は就職を機に上京し、東京で働いている。
関西の中には、なぜか東京を敵視している人種がいる。もちろん西の人間が全員そうだというわけではないが、私の父などはひどいアンチだった。
その熱量たるや、「鬼畜東京」と言い出しかねない愛西心だった。今思えば、日本の中心を担う土地への羨望も混じっていたのだろう。

西では聞かない、関東圏で生まれ育った人が言う言葉があった

その影響も少なからずあり、私も上京前までは、アンチ東京・関西至上主義者だった。東京がなんぼのもんや、大阪とたいして変わらんやないか、と。
上京しての感想は「梅田がいっぱいあるんやなあ」であった。東の人間は西のなまりを聞くと「地方出身者」フィルターを付加してくるが、阪神間で生まれ育った実感としては、東京に来て都会ぶりに特段驚くとか、カルチャーショックを受けるということはなかった。

しかし、あることをきっかけに、私はアンチ東京をやめることになる。西では聞いたことのなかった、しかし関東圏で生まれ育った人間は必ず言う言葉があることに気づいたのだ。

それは職場で、夏休みをいつとるのか、部署内で話し合っているときだった。
先輩から「夏休みは地元に帰るの?」と聞かれた。コロナ禍2年目の夏だった。
私は、いいえ帰りません、本当は帰りたいんですけどね、と答えた。先輩は言った。
「いいなあ。私は東京生まれ東京育ちだから、地元という感覚があまりわからないんですよね。故郷があるってあこがれます」

東京に生まれ育った人間の矜持なのだと、私は悟った

私はこの言葉に戦慄した。というのも、まったく同じやり取りを、その1年前の夏にもしていたからだ。
私の部署は人の出入りが激しく、1年前の夏、机を並べて共に働いていた人たちは私とあと1人を残して全員退職済みだった。
まるっきりメンバーは入れ替わっていたにもかかわらず、まるであの日のデジャヴのように、同じ会話を、同じ文脈で、まったく違う人間が言ったのである。

ああ、これは東京に生まれ育った人間の矜持なのだと、私は悟った。西では生まれてこのかた聞いたことのない言葉だった。
自分が育った地域こそが間違いなく故郷であり、故郷がないという感覚を想像したことさえなかった。それは、私が常に東京を中心に考えていたからである。

これはかなわない、と思った。やはり私は地方出身者なのだ。東の人たちが共有している「日本の中心にいる」という気概。私は、故郷にそんなものを背負わされたことはなかった。
東の人たちにはそんなつもりはないだろうが、私にとっては、日本の中心を故郷に背負わされることは、少し重荷であることのように感じた。「東京生まれ東京育ち」は、ほかの地域の出身者よりも圧倒的に、先進的で都会的であることを期待されるだろうから。

「ピンクが好き」と言えば、そのイメージを背負うことになる

つまるところ、私とピンクとの関係は、私と東京との関係と同じである。
私はピンクに苦手意識がある。ピンクは女性らしさのシンボルというか、中心的存在というか、あまりにも「女性らしい」意味付けをされすぎている。
私がかつて故郷にいたころに東京に感じていた遠さと同じくらい、私とピンクの距離感は遠い。ただこれはピンクが嫌いというわけではないのだ。
ピンク自体は可愛いし、似合う人への羨望もある。しかし、「好きな色はピンクです」というのは、その女性らしいイメージを背負わなくてはいけない感覚がある。
私は女性だが、その前に一個人である。ピンクが好きというと、一個人であるというニュアンスが少し薄まってしまうような気がするのは私の考えすぎだろうか。
少なくとも現状では、ピンクに付加されている文脈を背負うことは非常に荷が重い。

ところで先日、某格安携帯の販売店舗の前を通りかかった。コーポレートカラーはピンクの通信会社である。男性も女性も、スタッフは全員ピンクのユニフォームを着用していた。
私はふと感銘を受けた。フェミニンにもマニッシュにも寄らない、ニュートラルなピンクという感じがした。ピンクがこれまで背負ってきたいろいろな文脈を感じさせない色だった。
コーポレートカラーをピンクに決めた人はどんな思いでこの色に決めたんだろうかと、感慨深くなった。女性のためのピンクから、みんなのためのピンクへ。大手の会社がピンクの意味を上書きしてくれているようで、その重荷が少し減った気がした。

私とピンクとの距離感は、社会が作っている。この日は少し、その距離が縮まっていたかもしれない。