小学生の時に買ってもらったランドセルは、ピンク色だった。
女の子だから、多分そういう理由だったと思う。
その頃の自分の気持ちは、はっきりと覚えていない。好きでも嫌いでもなかったのだと思う。
ピンク色にかわいいという感情も、“女の子であること”を押し付けられている感覚もなかった。ただ、勉強道具を入れて背負う箱に過ぎなかった。

成人式に「ピンク色の振袖」を選んだのは母だった

成人式の時にレンタルした振袖もピンク色だった。
若さを全面に押し出した、花がたくさん描かれたピンク色の振袖だった。
母が選んだ。
「かわいい。似合ってる。これにしましょう」
試着してみると、まるで母自身が着ているかのように喜んでいた。
私が着たかった、暗い赤色の足元にさりげなく花が描かれたデザインの振袖は却下された。
「未亡人みたい。暗い。華がない。そんなの、年を取ればいくらでも着れるわよ」
ショックだった。自分を否定されたようで悲しかった。

成人式当日、私は母の気に入ったピンクの振袖を着た。レンタルも前撮りも費用を負担するのは母なのだから、私がわがままを言っていい場面ではないと判断した。
成人式の集合写真を見ると、赤い振袖を着なかったことをいつも後悔する。ピンク色の振袖を恨んでしまいそうになる。お前さえいなければ、私はあの赤い振袖を着ることができたかもしれないのに、と振袖を呪う。

お門違いであることはわかっている。ピンク色の振袖がなかったとしても、母は赤色の振袖でないものを気に入り、私はそれに従うしかなかったと思う。
結局、ピンク色の振袖を着ることになったのは、赤色の振袖が着たいことを主張できなかった私のせいだ。わかっていても何かのせいにしたくなってしまう。
この振袖の件で、いつしかピンク色すら恨むようになってしまった。

聞き分けのよかった私は、嫌なことでも自分を納得させていた

私の感覚を主張できるようになったのは最近のことだと思う。社会人になってからのような気がする。
小学生の時は、与えられるものの形や物にあまり思うことはなかった。
おとなしくて聞き分けのいい子、それが私だった。拒否することや否定することができなかった。たまにある嫌なことであっても自分の中で処理をして、自分で自分を納得させて過ごしていた。

中学、高校もなにかと理由をつけて自分を説得していた。
運悪くテスト期間に被ってしまった好きなバンドのインストアイベントに連れて行ってもらえないのは、連れて行ってもいい点数を採れるほど頭がよくないから。
携帯電話を持たせてもらえないのは、予算的な問題とともに、この子なら厄介ごとに巻き込まれないという信頼を得ることができていないから。

今思えばしょうもないことだが、当時の私にとっては今でも覚えているくらい悲しくて悔しいことだった。年を経るごとに、自分を納得させるのが難しく、最終的には費用を負担するのは相手側だから文句を言えない、という理由に落ち着くことが多かった。

ピンクとともに、受け身だった自分も葬ってしまおう

社会人になった今、余裕はあまりないが、自分の身の回りのものは自分で稼いだお金で買うようになった。
色やデザインで、誰かの好みを気にして自分を説得させなくてもよくなったことが、とてもうれしい。まだまだ自分の収入が足りないという理由で手に入れることができないものはあるが、昔ほど諦める機会は多くなくなった。

身の回りの物を見てみると、ピンク色のものはあまりない。あまり好きな色ではなかったのだと思う。実家の部屋には、学生時代に使っていたピンク色のものがたくさんあるから驚く。ほとんど自分で選ぶことがなかったのだろう。

次に帰ったときには、すべて弔ってしまおう。ランドセルも筆箱も。すべて大きなビニール袋に入れて火葬に出そう。
もうここにはいない、ただ受け身だった自分も、選ぶ権利がなくて無理に説得していた自分も、共に弔おうと思う。