修学旅行の部屋割りでいい思いをしたことが一度もない

修学旅行、それは学校生活のなかで五本の指に入る大事なイベントだ。
仲のいい友達とお泊まりできるし、観光地をクラスのみんなと回れるし、移動のバスや新幹線まで楽しいことが盛りだくさんだ。普段厳しい先生もこの日だけは妙に甘く、会ったこともない大人が高そうなカメラでいっぱい写真を撮ってくれるのをニコニコ眺めている。

このイベントにおいて、何より重要なのは班決めと部屋割りだ。仲の良い友達と同じ班で回って、夜は同じ部屋に泊まりたい。観光よりもそれがメインと言っても過言ではない。
修学旅行が近づくに連れて女子の結束は高まっていくし、なかには「誰と誰で同じ部屋になろうね」、と1年前から口約束をするケースもある。
ところがこの部屋割りに、私は一切いい思い出がない。小中高と順に辿ってみても、ワクワクした夜の思い出がないのだ。

お友達ドラフト会議なんてしたくない。だから逃げ続けた

小学生、人生初めての修学旅行。部屋は4人部屋が2つと6人部屋が1つ。私は仲良しの友達4人と前々から約束しており、自分を含めると5人になるから、誰か1人を誘って6人部屋にしようと計画していた。
ところが、部屋割りを決める当日の学活の時間、2人組の女の子が他所で断られたらしく、私たちのグループに入れてと言ってきた。
突然の申し出に、私たちは不穏な雰囲気で顔を見合わせた。7人いる。誰か一人が抜けて隣のクラスに混ぜてもらうしかない。
この生贄を選ぶような空気がいたたまれず、私は皆が黙り込んでから10秒も経たないうちに「私が抜けるよ」と言った。

中学校でも同じ流れだった。いつメンが私を含め5人だったので、4人部屋しかなかったことが分かるや否や「私、いいや」と言ったのだ。高校でも似たようなことを繰り返したことは言うまでもないだろう。

譲ったと言えば聞こえはいいが、単に私は逃げたのだ。友達をふるいにかけるあの時間が、各々が互いにランクを付け合うあの空気が、私は怖くてたまらなかった。
もしそこで私が最下位にランク付けされたら、その後の学生生活をどう過ごせばいいか分からない。誰も私を欲しがってくれなかったらどうしよう。お友達ドラフト会議をやってるんじゃないんだから。

彼女たちとの友情の固さには自信があった。だから譲ったのだ

2日目の朝、昨日はあまり寝れなかったと不機嫌な友人達を見て、なんだかひどく寂しかったことを覚えている。幸い、余り物の私を受け入れてくれた別の友人達はすごく優しかったし、ホテルでは寝付けないタイプの私はどっちにしろ眠れなかっただろうと思うので、部屋割り一つで修学旅行が台無しになったわけではないのが救いではあったが。

修学旅行自体は楽しかったが、その後しばらく友人達と気まずかったことは否めない。有事の際に一番に弾かれた存在に自らなったことで、彼女たちの中で弾いても良い存在になってしまったのだ。
それによって友人間でのパワーバランスが、一時的に乱れることは想像に難くないだろう。それでも私は対等な意識で彼女たちと付き合い続けたし、結局卒業まで仲良く学生生活を過ごした。それだけは譲らなかった。

なぜなら、そもそも私は彼女たちが好きだったからだ。
憂鬱な学校に通えたのは、毎日お腹が痛くなるくらい笑わせてくれる彼女たちがいたからだ。
放課後もだらだら駄弁って、誰かの家に集まって映画を見て、そうして築き上げた互いへの情愛は、部屋割り一つでなくなるようなものじゃない。その考えだけは譲れなかった。
私が部屋割りを譲った時、彼女たちはすごく残念そうにしてくれたし、なかには怒りだす子までいた。一時的な気まずさくらいなんだ。そう言えるほどの自信を、彼女たちは確かに私に与えてくれていた。
部屋割りを簡単に譲れたのは、彼女たちとの友情に譲れない自信があったからだ。